渡辺京二さん

渡辺京二さんの「黒船前夜」図書館で借りて読みました。

黒船前夜 ~ロシア・アイヌ・日本の三国志

黒船前夜 ~ロシア・アイヌ・日本の三国志

この本貸し出し中で1番予約で借りる事できましたが。
なかなか借りるの難しい本です。
横浜市図書館で今検索してみたら、市内17館全て貸し出し中で予約数が47となっていました。
この本以前書いています。
2010-12-22 黒船前夜 - なんやかんや
第37回大佛次郎賞受賞して、朝日の記事になって知った本です。
この本の舞台、カラフト・千島・カムチャツカ半島オホーツク海
このあたり世界地図で最後まで謎?の部分だたったようです。



作者の渡辺さん1930年生まれ、今年81歳です。
ノンフィクション作品ですが、各ページ左側に書かれた内容の出典が出ています。
かなり膨大な資料を読んでこの作品書き上げています。
以前沖縄の高校用歴史教科書読んで次は北海道って思っていたので、だいぶ時間は空きましたが、私の好奇心は満たしてくれました。
2010-09-13 琉球・沖縄史 - なんやかんや


江戸時代、貿易長崎の出島で行われていました。
島津藩琉球を支配しつつ、日本人ではないという事で、琉球人利用し貿易していました。
琉球は島津が支配する前から、中国朝鮮だけではなく、東南アジア各国と貿易行っていた事実と歴史があります。
松前藩アイヌ支配しつつ、北方での貿易を日本人ではないということで行っています。
ただ、琉球と違って、北方は寒いし人もあまり住んでいない。
流通品もかなり限られた物であったようです。



以下引用部分私の興味という事でアイヌ関連です。
この本は、ロシア、幕府のことも副題に「ロシア・アイヌ・日本の三国志」とあるよいうにしっかり書かれています。

166P

幕吏たちは松前藩アイヌを未開状態に放置したと憤慨するけれども、アイヌ自身にとっては彼らの生活はけっして「未開」ではなかったし、放置されることが幸せだったのである。

琉球の場合、島津藩は当時の琉球政府を攻めています。アイヌ松前藩の間でも争いはあったのですが、琉球の事を考えると非常に緩やか、異論はあるかもしれませんが、統治という言葉を使っていいものかどうか、そんな関係であったように私も感じました。
141〜142P

 アイヌの社会はこのようにあきらかな格差の存在する階層社会であり、多数のウタレや妻妾を擁する首長と、普通の集落民との関係は平等ではなかった。しかし、集落を超えて広い地域を支配する上位の首長は出現しなかったし、集落の長たるオッテナも集落の集会では、有力者の一人としての発言権しか持たなかったのである。財宝・ウタレ・妻妾の所有者は集落、あるいはそれを超えた一定地域での有力者ではあっても、けっしてその政治的支配者ではなかった。統治も行政も、ましてや国家もアイヌシモリには存在しなかった。
 アイヌの社会に内在しない統治・行政・国家という枠組みを外からかぶせようとしたのは松前藩であり、さらにはその背後にある幕府権力であった。しかし一八世紀中葉までは、幕府はアイヌシモリを実質的には統治の枠外にあるものとみなし、一方統制を委任された松前藩アイヌ社会の内部にほとんど干渉しようとはしなかった。シャクシャインの反乱をつぶした松前藩が藩地(和人地)をいささかたりとも拡大しなかったのは、植民地史の常識からすればおどろきである。こういう場合植民者は現住民の土地を接収するのが普通なのではあるまいか。しかし、松前藩にとってアイヌの土地を奪っても何の徳にもならない。藩地をアイヌシモリへ拡大すれば統治の費用はたえがたいものになろう。それよりもアイヌシモリはアイヌに任せて、交易の形をとった収奪を続けたほうがずっと得策なのだ。
 このようにして、アイヌシモリは政治権力の統制が存在しない自由の天地として存続する事になった。むろん、それは平和な理想郷だったのではない。アイヌがサハリンまで北上して元軍と戦ったのは先述した通りだが、アイヌ社会内部でもシャクシャインとオニビシの抗争に見られるように、武力抗争は珍しくはなかった。一六世紀から一八世紀にかけて、チャシと呼ばれる山塞がしきりに構築されたのも、アイヌ社会で武闘が日常化していたとの根拠といってよい。チャシは北海道全体で五00以上の遺跡が確認されている。チャシは祭祀の場であったり財宝の倉庫であったりする面もあったが、構造的に見て軍事的な砦だったことは間違いはない。また伝承によると財宝をねらって夜間に他の集落を襲撃する慣習があった。つまりアイヌの社会は財宝をめぐって強い欲望とねたみの渦まく社会でもあったのでもある。

続けてエピローグ部分。
349P

 アイヌ民族に衰亡を免れる途は存在したのだろうか。その唯一の方途がアイヌ民族国家の樹立であった事は明白である。一七世紀初頭、特産品を持って漢民族と交易して力を蓄えた満州族は、大清国を樹立して漢民族から自立した。アイヌにその途が閉ざされていたとは理屈からすればいうことができない。しかし、アイヌはウタレを率いる有力者以上の上部権力を生み出さなかった。ましてや全コタンを統一する国家など、夢想だにしなかった。また仮にアイヌに民族国家樹立の機会があったとしても、それは一九世紀初頭の幕府の直轄によって永遠に失われた。幕吏はたしかに商業資本の手からアイヌを保護しようとしたが、それは同時にアイヌを日本臣民化し、二級の国民として徳川国家に包摂することにほかならなかった。幕府の慈恵を受け入れる事で、アイヌは自立の途を完全に失ったのである。
 しかし、民族国家には明暗が伴う。アイヌには国家形成の能力がなかったのではなく、その意思がなかったのだ。この点において、アイヌはなお類ない光芒を放つ。忘れてはならぬが、初めてアイヌ社会を実見した本土の日本人たちは、国家をもたぬアイヌのありかたに羨望と郷愁をおぼえた。

エピローグ部分の引用なので渡辺さんの個人的な見解と思われる部分もありますが、この引用部分のあとは最上徳内さん含む3人の日本人が感じた、「国家をもたぬアイヌのありかたに羨望と郷愁をおぼえた。」部分を具体的に引用されています。
アイヌは国家を持たなかった、だから琉球のように攻められる事もなかった。
という事もできるのでしょうね。攻めようがないですもの。
「幸せって?」
どこに求めるべきか。
考えますね。
勿論、あなたの幸せ、私の幸せ、それぞれ十人十色。
そうあるべきで、多様な価値を求める事・認めること・寛容・大切です。
皆が同じ価値判断で、同じ幸せを求める事はとっても不幸な事だと思います。
無限の資源はありえません。
空気も水も太陽の光だって有限です。
さらにこれは、人類だけでなく、この地球に生きる全ての生き物との共有物です。