Self-Reference ENGINE

円城塔さんの「Self-Reference ENGINE」地元の図書館で借りて読みました。
円城さん、最初に読んだのは芥川賞受賞作の「道化師の蝶」
2012-02-12 シュレーディンガーの猫 - なんやかんや
この時、
こんな事書いています。

拒否されている感じはしなかったのですが、円城さんの世界何処まで私が理解できていたかが問題。
そんな感じ。

1つの作品の中に、色々な作品を積み上げて全体として1つの作品にしている感じです。


Self-Reference ENGINE
読む前に、この作品と同じ時期に円城さんが書いて、文学界新受賞を受賞した。
オブ・ザ・ベースボール

オブ・ザ・ベースボール

オブ・ザ・ベースボール

図書館にあったので、借りずに、収録されている「オブ・ザ・ベースボール」のみ読んでいます。


別の日に今度はSFの
「Boy's Surface

Boy’s Surface

Boy’s Surface

も図書館で借りずに収録されている「Boy's Surface」のみ読んでいます。
Self-Reference ENGINE
は借りて読みました。
今日ココで4作品上げた中では、この作品が私には読みやすかったです。
SFマガジンの日本SFの16位に入っていました。


昨日こんな事、書いています。

円城さんも、

何処かの大学の飯が食えるポストについていれば、作家になっていなかったようなこと、何処かでご本人が話しているの読んだことあります。

ウィキペディアの円城さんから情報追加しておきます。
円城塔 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%9F%8E%E5%A1%94

北海道大学京都大学東京大学で博士研究員として働く。34歳の時、次年度の研究費と給料を得る見込みがなくなり転職を決意。2007年より有限会社シングラムのウェブ・エンジニアとなる。2008年10月に退職し、専業作家となる。

話には聞いていましたが、大学残っても、論文を沢山書いて、それが認められて給料を得ていく事大変なようです。
そんなような事、どこかで円城さんご自身が話されているの読んで再認識しました。
論文書くのやめて、小説書いて投稿していったようです。
Self-Reference ENGINE」も伊藤さんの「虐殺器官」と同じ回の小松左京賞最終候補作です。
この年は受賞無しでした。コレが2006年

2007年(平成19年)、「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」で第50回群像新人文学賞第二次選考通過。同年「オブ・ザ・ベースボール」で第104回文學界新人賞

作家デビューに向けて、前進また前進されていたのですね。
円城さんのブログです。
Self-Reference ENGINE


同じ回の小松左京賞受賞できなかった伊藤さんへの連絡は、円城さんがミクシーで伊藤さん見つけて連絡されたそうです。
何処で読んだか忘れましたが。