直接証拠

昨日朝日・朝刊1面トップ。
カレー事件の林さんの死刑確定の件でした。
読売も1面トップ同じだったようです。
1面《解説》によると。

最高裁は「動機が解明されていない」と認めたうえで有罪の結論を維持した。

被告は否認したままだし、直接証拠もないそうです。

さらに裁判員裁判では参加する市民に過剰な負担をかけないため、立証内容を大幅に絞り込む必要がある。結果的に刑事裁判の役割りは「真相の徹底的な解明」から「有罪認定が出来る証拠を検察側が示せたかどうかの判断」により重点が移っていくのは間違いない。

私、刑事裁判に余り関心がありません。
ただ、刑事裁判の判決前の報道が凄いときありますよね。
判決前というより逮捕前で凄いときありますね。
この事件もすごかったですね。
新聞というより、TV報道がすごかった。
週刊誌の方がもっと過激だったのかもしれませんが、週刊誌買わないと見られないしね。
誰でも見られて、映像&コメント付き!
1度TVを敵に回してしまうと、皆が敵になってしまいますね。
「世界中が敵になっても、僕は君を守る」
みたいなかっこいい台詞ありますね。
1度は言ってみたいものですが、でもその状況って大丈夫なのだろうか?
そうなる前に回避しないと、
守りたいと思っている人と一緒に死ぬ事が守るための最後の手段になってしまうような気がします。
生きていかないと意味がないですね。


冤罪思い出すの、松本サリン事件の河野さんです。
オフィシャルページです。
http://www2k.biglobe.ne.jp/~ndskohno/
http://www2k.biglobe.ne.jp/~ndskohno/
ウィキペディアです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
松本サリン事件 - Wikipedia
自分の奥さん入院していて、警察の取調べ受けてその犯人扱いですからたまったもんじゃないですね。
河野さん、誰かに守られていたのでしょうか?
河野さんに対する報道機関の直接謝罪ないようです。
報道機関がきちんとした報道を元に内容を公にすること。
必要だと思います。
これからも守らなければいけないと思います。
ただ、報道機関がきちんとしていなかったとき、
影響力が大きいだけにその適切な謝罪は必要ですね。
何故そのような事になったのか、原因の究明はシッカリとするべきでしょう。


このカレー事件、報道かなり先行していたと思います。
林さん「悪」として取り扱われています。
確かにそれだけの報道をされるだけの事実はあったのでしょう。
でも、カレー事件は、直接証拠なし、本人否認のまま。
今まで散々悪事に手を染めた、本当の極悪人であったとして、今回のカレー事件も本当は自分でやるつもりで準備までしていたとして、実際自分が実行する前にカレーにヒ素が誰かによって混入されていた。
そんな可能性否定できるのだろうか?



私は、この事件に限らず例えば、
秋田小1男児殺害事件の畠山鈴香容疑者
とかね、叩かれていますが、
自分で客観的に判断することが出来なくなってしまいそうな気がして、そういったTV報道見ないようにしています。
たぶんこの事件林さんの「私がやりました」が誰もが納得する結論だと思います。
本当にやっているのでしたら、是非正直に話して欲しい。
今回本当にやっていなかったとしたら、これは大変なことですね。
真実が誰からも信じてもらえない。
裁判員裁判では裁判の結審までの時間も短縮されそうです。
どうするのでしょうか?
戦後になってからでも良いのですが、今まで死刑執行された方たちの中で、
「やっていない」
方いなかったのでしょうか?
死刑が執行されると終わり。
そんな感じがします。
でも人間が判断してやることです。
「間違いが絶対に起きない」
誰も断言できませんね。
死刑執行後も、真実を追究して、死刑が間違いであった事が判明したとして、
その事を公にして謝罪する事ってあるのだろうか?
あれば是非、公にして謝罪すべきでしょう。

昨日の朝日・朝刊・社会面(手元の新聞で35面)

林被告「国に殺されたくない」

の見出しで始まる記事の最後の部分引用します。
 

林被告は裁判で、カレーにヒ素が混入された時間帯に次女と一緒にいたと主張した。次女は取材に対し、「私はずっと母親と一緒にいた。お母さんはやっていない」と話した。

かなり怪しいイメージの林さん。
アッ、この書き方自体問題ありでしょうか?
「死刑が確定」
ってことは怪しいではなくて「黒」なのですよね。
裁かないといけないのは事実ですが、こういったやり方で今だけでなく将来に向けて裁判に間違えが無ければ良いですね。