日の丸少年

靖国問題書いてきたので、
たまには自分のことも書いてみます。
私子供の頃、日の丸少年でした。
物心付いた時、家に国旗ありませんでした。
小学校の時だったと思います、
町内会でまとめて国旗を買いました。
(記憶全く無いですが、おそらく希望した家に対してだったと思われます。
強制的に買わせる様なそんな町内でも、住民でもなかったと言い切れるからです。)
私、祝日には自ら進んで国旗を掲揚していました。
町内でもけっこう祝日に国旗掲揚している家庭、それ以降多くなったと思います。


私の親は国旗を出すように言う親でもありませんし、
選挙のときも、親が何処の政党に投票しているか私も知りませんし、
親も私が何処の政党に入れているか知りません。
勿論何処の政党に入れるようにと指示されたこともありません。
親と会話が無かったわけでもないです。
小学校の時、算数父親に教えてもらった事あります。


幼稚園の時に、何だか知らないけど日の丸の旗作ったことあります。
白い画用紙に、アルミのボールかなんかをうつ伏せにして、
赤いクレヨンで輪郭を取って、中を赤く塗りました。
私の通っていた幼稚園も普通の公立(市立)の幼稚園でした。
私の家の近所の子供たちも皆その幼稚園に行っていたので、
思想的な教育を子供に行っていたとは思えません。
そんなに田舎だとは思わないですが、
私立の幼稚園近所に無かったです。


私、日の丸けっこう好きです。
大胆でシンプルなデザイン。
日本、という国名そのものを的確に表現したデザインだと思います。
オリンピックで国旗が上がると今でも素直に感動します。
国旗賛否両論あるようですが、私は日の丸で良いと思っています。
ただし、東京都がやっているような卒業式に国旗の掲揚を強制するようなことには反対します。
どうも中学の高学年から、高校にかけて何故だかわかりませんが、
左翼系文学に、より共感を感じるようになっていました。
ですので、国旗日の丸で良いと思っているにも係らず、
国旗を強制的に掲揚させようとしている勢力よりも、
国旗の強制に反対している勢力の意見に、より共感を覚えてしまいます。
今思うと、私が最後に体制的な事書いたのは、小学校の高学年か、中1の時、
その当時よく読んでいたジュール・ヴェルヌの作品の中の、「悪魔の発明

悪魔の発明 (創元推理文庫 606-3)

悪魔の発明 (創元推理文庫 606-3)

を読んで、感想文に「愛国心」についてかなり肯定的に書いた記憶があります。
この本そういう意味で感動できる本でした。


その後高校ぐらいでは、自分でも左より自覚していますが、
政治的な活動をしようと思ったことは一度もありません。
学生運動が盛んな時代に大学生だったら、
大学じゃなくても高校でもやった所あるようなので、
高校生だったとしても、やっていたかも知れませんね。


政治活動、宗教活動、どちらも距離を置くつもりでいます。
そういう活動に一生懸命な人を見ても、否定する気持ちにはなりません。
ただそういった活動によって、私の場合、視野が狭くなってしまいそうな気がしているので、
どうしても距離を置きたく思います。
ただ宗教は先祖のお墓があったりでどうにもならない部分ありますね。
私の家は曹洞宗です。
禅宗で良かったとは思います。
座禅を組んで、
自分と向き合って、(空間と一体になって、そんな感覚かも知れませんが)
悟りを開く(己を知る、ってことかもしれませんが)
なんか、
人のせいにしないで、
自分で自分の行動に責任を持って、
自ら切り開いていく、
そんな生き方に憧れを持っている自分がいます。


さてここまで書いて、落ちがあったりします。
本山の永平寺にはバイクで友人と観光に行ったことはあるのですが、
私、今まで一度も、お寺で座禅組んだことありません。
アリャリャ。