被害者参加人

supiritasu2007-02-06

今日の写真は日曜地元のダイエーに向かって歩いていて見つけた、
1本だけ道路わきに植えられいた、紅梅です。
(この花、梅であってますよね?)


古い記事なのですが、やはり気になっているので、書いておきます。
1月31日朝日新聞朝刊1面トップに以下の見出しありました。

犯罪被害者も「論告・求刑」

刑事裁判意見として陳述
検察官と柵内で同席

法制審要綱案


弁護側には懸念も

さらに2面時時刻刻にも取り上げられていて、

刑事裁判大きく転換


犯罪被害者 訴訟参加へ


「まさか」と異口同音


疑問ぶつけたい/声なき声も


法曹三者の「監視役」に

どういうことなのか、1面の記事1部引用します。

 現在できるのは、証人として出廷することと、心情面について述べる「被害者意見陳述」だけだったが、新制度では情状面に限って証人に対して尋問ができるほか、被告に直接質問もできるようになる。

今の裁判制度では被害者の方確かにかわいそうな気がします。
被告に直接質問ができることは、「何故こんな目に」という疑問を解消するためにはいいことだと思います。
ただ世論が、憎しみを増殖させるようになっている感じがしていて私少々怖く感じます。
「裁判が被害者と被告の言い争いの場になって荒れてしまうのでは」
そんな危惧を持ちました。
「罪を憎んで、人を憎まず」
この言葉は美辞麗句になってしまうのでしょうか。
憎しみからは何も生まれないと思っています。
さらに、
推定無罪
この原則もありますが、
被害者の言葉には、心動かされますよね。
陪審員制度導入されて一般の人が裁判にかかわるというこの時に、
こういうことを導入してしまうと、求刑が益々重くなっていきそうな気がします。
被告がもし冤罪であった場合、
そのことを証明して、疑いを晴らすこと益々難しくなりそうな気がします。


気付いた方います?
まだ見ていませんが、
周防監督の「それでもボクはやっていない」
これを書きながら、私の頭の中に浮かんでました。
陪審員に選ばれたら、まず見なくてはいけない映画ではないか?
そう私は思っています。
下の画像は 「黒沢清 清水崇 西川美和 周防正行 日本映画ブームを語る」という内容です。