本筋の巨大なもの

昨日書いた最後の部分引き継いでいます。

昨日(25日)の朝日・朝刊社説の内容、
asahi.comから引用します。

無差別殺傷―この連鎖を断ち切らねば


 ただ、そこにいたというだけで、斉木愛さんは命を奪われた。これからの人生も、思い描いていたであろう夢も、一瞬にして断ち切られた。

 なんということだろう。理不尽さに胸がつまる。

 東京都八王子市の書店で、アルバイト中だった学生の斉木さんと客の女性が殺傷され、33歳の男が逮捕された。

 動機の核心はまだわかっていないが、何よりも気になるのは、「最近あちこちで通り魔事件が起きており、刃物なら簡単に殺せると思った」という容疑者の供述だ。

 無差別の殺人や未遂の事件は今に始まったことではない。昨年までの10年間で67件起きている。だが、今年は、茨城県のJR駅で8人が刃物で切りつけられ、東京・秋葉原の電気街では17人が殺傷されるなど、凶悪さの際だつ事件が続いている。

 八王子で逮捕された男が言うように、こうした凶行が新たな事件の引き金になっているとしたら、とんでもない連鎖というべきだろう。なんとしても断ち切らなくてはならない。

 一連の事件に共通しているのは、「だれでもよかった」「むしゃくしゃしていた」など、容疑者たちの言い分の幼稚さであり、身勝手さだ。それはいくら非難しても足りない。

 だが、非難するだけでは、次の事件を防ぐことはできない。秋葉原の事件のあとにダガーナイフを規制する方針が打ち出されたが、家庭にある包丁まではなくせない。

 特効薬がないとしたら、事件を誘発しそうな問題点や社会のひずみ、矛盾などをできるところから減らしていくしかあるまい。

 まず考えたいのは、人間関係が希薄になっている世の中で、孤立感を深める人が増えているということだ。

 仕事や生活でうまくいかないことがあっても、だれもが犯罪に走るわけではない。相談する人さえいれば救われることも多い。家庭や学校、職場で、人とのつながりが持てれば、犯行を思いとどまることもあるだろう。

 二つ目は、人々が少しでも安定した暮らしを送れるような社会にできないかということだ。日本では高度成長期のような明るい未来像を抱きにくい。不安定な仕事だったり、極端に給料が安かったりすれば、なおさらだ。そんな状況が、自暴自棄になる人を生む一因になっているのかもしれない。

 教育の取り組みも必要だ。どの事件の容疑者も、刃物を向ける相手への想像力に欠け、痛みに思いが至っていない。そんな人間をこれ以上生み出さないためには、命の大切さを幼いころから時間をかけて学ばせるしかない。

 親も子どもの成績ばかりでなく、人間としての心が育っているかどうかに目を向けることが大切だ。

社説も指摘しているように、

秋葉原の事件のあとにダガーナイフを規制する方針が打ち出されたが、家庭にある包丁まではなくせない。

ですよね。
で、私がズート指摘している、
「本筋の巨大なもの」
具体例を示して書かれています。
そうなんです。
ココに書かれていることその通りなのです。
でも、社説書いた記者さんも、読んでいる私たちも皆気付いていますね。
「本筋の巨大なもの」
ココに書かれていることだけではないことを。
こういった事件が続く理由は沢山あるわけです。
何かが間違っている、でもその何かは複数あるわけです。
何でキレやすいのか。
家庭環境のせいにしたり、食べ物のバランスのせいにしたり、これも複数の要因があります。
そこも考えなければならない一つですね。


で、こういう犯罪を犯してしまった方は、
死刑判決が待っていそうです。
でも誰もがわかっていますね、ココで死刑を増やしても、こういった犯罪は減らないことを。
こういった犯罪犯す方、自ら悔い改めることもなく、刑を求めていたりします。
元々自らが国家の手によって殺されること、最初から望んでいる場合も実際にありました。
そういう方たちが、自らの心の闇を知ることもなく。
殺された方や、そのご家族たちの悲しみに気付くこともなく、
処刑してしまって良いのだろうか?
そういう方たちの、心の闇に迫ること、
それがこういった犯罪を減少させるための役に立つと思うのですがいかがなものでしょうか?