非寛容

度々触れている、村上龍さん11月3日配信のメールマガジン
ここ↓で、2008-11-03で読むことできます。
JMM | 村上龍電子本製作所
冒頭の龍さんの一言私がいつも言いたいことを的確に表現されていました。
一部引用させていただきます。

先週このエッセイでも触れた、8つの救急病院で受け入れられず脳内出血で死亡した妊婦の夫が、記者会見を開き、「妻の死を無駄にしないで欲しい。妻が死をもって浮き彫りにした問題を、力を合わせて医師、病院、都と国で改善して欲しい」「医師や看護師には温かい配慮をしてもらった。だれも責める気はなく、裁判を起こすつもりもない。赤ちゃんを安心して産める社会にしてほしい」というような発言をしたそうです。


 悲しみと苦しみの中でこのような発言をされたことに、わたしは敬意を表したいと思いました。医療を巡るさまざまな痛々しい事故では、被害者や遺族は医療者への敵意と不信を口にすることが多かったと思います。一概にそれが悪いというわけではもちろんありません。納得できないであろう医療事故は多いですし、説明が不充分な場合も多々あることも想像できますし、何より遺族は大きな悲しみと苦しみと喪失感の中にいます。


 しかし、医療事故に限らず、今の日本社会は「非寛容」とでもいうような重苦しいムードに覆われているような気がします。多くの人がいろいろな要因で苛立っていて、
批判・非難・攻撃する対象を常に見つけようとする社会的圧力が醸成され、メディアがそれを増幅・加速するという構造があるのではないでしょうか。すべてに寛容でなければならないということではありません。徹底的な対立が必要な場合もあります。でも、「立場の違う相手を理解しようと努める」「立場の違う相手に理解を求めるためにはどうすればいいか必死で考える」という態度は、コミュニケーションの基本だと思います。社会に必要な正統な寛容性は、そういったコミュニケーションを通してのみ得られるものです。

妻をなくされたご主人の発言そうなんですよね。
私も「救い」を感じました。
龍さんが最後の段落に書いてあった、「悲寛容」さ私も凄く感じていて、
この「なんやかんや」でも度々触れています。
最近では、
2008-11-01 世論の支持 - なんやかんやで、

今この国の中で私が感じている
「憎しみの連鎖」
死刑制度を廃止することも、断ち切るきっかけになるのではないか?

という書き方しています。
この文章読んで、こういうことが私言いたかったんだよね。
そう思いました。
村上さんに表現力でかなうとは思っていませんが、
同じ思いを共有してる感じがとっても嬉しかったりします。
共感していただける方いらしゃいますか?