裁判員裁判スタート(その3)

その3まで書くつもりはなかったのですが、
昨日書いた、

裁判員制度最初は、検察の求刑16年より1年短い15年という結果でした。
裁判員制度導入前より、求刑に対して結果としては長めの判断になっているらしいです。

について、もう少し書きます。
求刑16年より、1年短い判決でて、何故長いの?
そういう疑問ありますよね。
私も、昨日TVの解説かなんかで見たのだと思います。
今日の朝日・朝刊1面トップ、この件でした。
asahi.comからいつもだと引用するのですが、
私が引用したい、

量刑理由「結果」から言及
専門家「やや重め」の声

の本文、asahi.comに載っていないので、一部新聞より引用します。(私が手打ちするので、チョット辛い)
 

殺人罪の法定刑は「死刑、無期懲役、または5年以上の懲役」。以前は下限が「懲役3年」だったが、「生命を奪う罪への罰が軽すぎ、社会の意識と合っていない」といった声の高まりから、04年の刑法改正で引上げられた。
 ある刑事裁判官によると、今回の事件は「改正前なら懲役8〜10年、改正後なら10〜13年くらいが相場」だという。
 裁判官による刑事裁判では「求刑の8割前後」の量刑が示される判決が多い。求刑と1年しか違わなかった今回の判決は、検察側にとっては「期待以上」と言える。

私、裁判員が参加する事によって、今までより刑が軽くなるのでは?
そう思っていました。
弁護士さんに比べて、検察は一つの大きな組織です。
一般の方が、裁判に参加することを想定した、プレゼンテーションしっかり訓練をしていたのではないでしょうか?
被告側の弁護士さんも当然したでしょうが、組織的な対応ということを考えると検察にはかなわない感じ受けます。
考えてみると、組織の検察がした求刑に対して、個人または、事務所単位の弁護士さんが地道に捜査を検証して、検察側の証拠の矛盾をついたりして、刑を軽くしていく事、大変な努力ですね。
「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」という精神が裁判官のなかにないと、基本的にこの国の裁判は被告に不利なのではないか?
そんなこと思いました。


社会面(手元の新聞で34面)左中央に、以下の見出しあります。

母の名誉回復
達成でき満足
参加遺族の弁護士

記事冒頭部分です。

今回の裁判員裁判には、昨年12月にスタートした「被害者参加制度」を使って、被害者の長男(37)が参加人として出廷していた。

被告側としては、
「殺された被害者が被告の怒りを買うような行動を普段からしていた。」
そんなような事実を裁判で証明する必要があります。
ペットボトルの話とか、日常の様子が話されていたようです。
被害者の遺族にとっては、殺害された上に、「死人に鞭打つ」ような話が目の前で展開されるわけですね。
これも辛いですね。
1面に戻りますが、

 傍聴した元裁判官の木谷明・法政大学法科大学院教授は「被害者の落ち度を一切認めておらず、ちょっと事実認定が甘い。被害者は満足するだろうが、被告は不満だろう」。

とのコメントがあります。
事実認定が甘いのは事実だとしても、法曹関係者ではない一般市民の感覚として、被害者のご家族が参加していた場合、同情するのは当たり前だと思います。
今後弁護側は、被害者の遺族が参加している場合、被害者が必ずしも聖人であるとは限りませんが、「死人に鞭打つ」ような弁護を展開するのは得策ではないかもしれませんね。
だって、被害者を失った家族にとって被害者は聖人なのですから。
だったらどうしたら良いのでしょうね?
難しい問題です。
私もここで安易な結論は書けません。


同じく社会面(手元の新聞で35面)記事冒頭部分引用します。

 裁判員7番のアルバイト男性(61)は5日夜、審理を終え疲れて帰宅すると、夕食を取り、酒を飲んだという。家族は旅行に出かけており、1人だけ。ふと、藤井勝吉被告(72)のことを考えた。
 公判では、藤井被告が父親を早くに亡くし、中学校にもいけず母親と注射器工場で働いた事や、頼れる親類もいない事が明らかにされた。「育った経歴が不幸で、やることもなかなかうまくいかなかったのだろう。不器用な生き方をしたひとなんだな」と感じたという。
 自分と10歳ほどしか違わない人が罪を犯してしまうことに「世の中の無常観や不条理を感じた」というこの男性は、「疲れや興奮もあって泣けてきた」。刑の重さを決めた事について「1人の人のすべての自由をうばう重大な結論を出さないといけなかった。何が正しいというのはなく、不安感が大きかった」と話した。

裁判員さんに選ばれた7番さんの精神的負担の大きさと、真摯な態度ものすごく感じます。
これだけ、被告のことを考えても、全体の結論としては、今までの裁判より求刑が長くなってしまう。


今の私たちの国は、裁判員7番の方のように「人がやさしい社会」をまだ維持していると思います。
でも、将来に不安感じています。
最初に引用した分部再度引用します。
『「生命を奪う罪への罰が軽すぎ、社会の意識と合っていない」といった声の高まりから。』
生命を奪う犯罪に罪を重くすることで、犯罪は減るのでしょうか?
私はあまりそうは思っていません。
声の高まりから
この分部、気になります。
一部の人が大声を上げただけで、声の高まりと勘違いしていませんか?
過激な人の声は大きく聞こえるものです。
その声に影響されて、大多数になる事もあるでしょう。
声の大きな人は、ほとんどの場合「人にやさしい人」ではない気がします。
罪を犯す人が悪い。
確かにそうです。
だからといって、犯人を憎んで、罪を重くして、死刑判決を増やして。
その結果、私たちの国はどんな方向に向かうのでしょう?
そこで暮らす私たちは、心豊かに暮らせるのでしょうか?


「世の中の無常観や不条理を感じた」この言葉心に響きますね。
罪に対して量刑を決めていく事必要ですが、
本当に大切な事は、罪を犯さなくて済むストレスの少ない社会、
声の高まりなんかに負けない、
「人にやさしい社会」。


今よりもっと、「人にやさしい社会」を、私たち皆の力で、政治も官僚も動かして作っていくことが一番必要な事だと思います。