理想論(その2)

supiritasu2005-08-27

皆が幸せになれること。
これって究極の理想ではないでしょうか?
でも、ある人の幸せは、
ある人の不幸せが伴っていたりします。
だから「皆が幸せ」は、
ほとんどありえない理想になってしまいます。


でも、他人の幸せを、自分の幸せとして感じられる人いますよね。
自分の、身内が喜ぶ姿は自分も幸せになれることでしょう、
その身内の範囲をどこまで広げられるかですね。
逆も真なりで、
よく時代劇や、刑事物で、
悪役が主人公の妻や子供を人質にしたりしますが、
たぶん自分が不幸なのには耐えられるけど、
自分以上に辛いっていうのは真理だと思います。
身内の痛さは、自分以上に痛い。


人の犠牲によってもたらされた幸せを、
本当に喜べなかったりする人も多く存在することでしょう。
私も知り合い辞めて、増えた仕事は、
あの人の収入が減って、私の暮らしがよくなった、
と実感したことあります。



自分の幸せだけを、追いかけていく人は、
結局幸せを感ずる機会より、
「幸せの共感」が出来ないので、
不幸せな時間の方が多くなるような気がします。
確かに時には自分の幸せを追求する、
一途・というか負けない!勝つぞ!
という勝負をする時も人生には必要だと思います。
それにこういう「幸せの共感」的発想は、
弱さを優しさで隠している部分や、負け惜しみも感じます。


でもエゴとエゴとのぶつかり合いの連鎖は、
断ち切らないといけませんね。
ぶつかり合いの中で、お互いに学んで、
良い方向に歩み出せれば最高かもしれません。