チャタレイ夫人の恋人

チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)
外国文学を始めて取り扱います。
映画やドラマの原作として何回も使われている作品ですね。
日本では伊藤整さんが翻訳しています。
伊藤さんは作家で私も好きな作家の1人です。
私は「若い詩人の肖像」新潮文庫(<S>社ですね)で読みましたが。
若い詩人の肖像 (講談社文芸文庫)
他2冊ぐらい読んでます。


チャタレイ夫人の恋人」は1950年に出版されましたが、
同年刑法の猥褻文書の疑いで押収され、
伊藤さんにも出頭命令が送られました。
翌年から裁判が始まります。
1952年一審で伊藤さん無罪、
発行者(小山さん)罰金25万という判決が出ます。
1957年に最高裁が「上告棄却」の判決を下したので。
伊藤さんと発行者の有罪が確定します。


小樽商科大学附属図書館の資料が詳しいです。
ここは伊藤さんの母校です。


裁判で、文学者や、法曹関係者が、
ここの「○○○という表現は猥褻だ」
いや文学表現として「○○○には必然性があり猥褻にはあたらない」
というやりとりが行われたのだと思います。
なんかまじめな顔をして、猥褻な言葉が裁判所の中を、
検察側からも、弁護側からも飛び交っている風景想像するとクスクス感ありますね。
(この「○○○」どんな表現が当時猥褻で争われたのかわからないのでこう書きました)
この「○○○」という伏字って一番猥褻だと思いませんか?
猥褻で記述できないようなことを、想像することになりますから。
自分の中で猥褻な言葉でキツイのを、
「○○○」の中に当てはめていくことになるわけですよね。


裁判には負けましたが、
最終的には時代が、
猥褻の基準を大幅に緩和してしまったということになりまして、
チャタレイ夫人の恋人」は
伊藤さんの翻訳そのままの姿で出版されました。
この本、私「猥褻・猥褻」と頭の中すごい期待と妄想を持って、
早速購入して読みました。
確かに普通の小説よりも性的な表現多と思いますが、
期待はずれでした。


訳者の伊藤さんには大変申し訳なく思うのですが、
文学というより、「猥褻」ですっかり話題になってしまっていたので、
先入観で素直に読めなくなってしまっていたのですね。
裁判所が言うところの「猥褻」な表現を使った作品が既に多く世の中に出回っていた。
ということでしょうか。
完訳が出たときに、
実際、今まで書くことのできなかった
「○○○」
部分が
「あいうえお」
のように書かれています。
見たいな比較を見たのですが、
明らかに「○○○」
の方が猥褻感漂っていました。


秘密で、隠されていたりすると見たくなる。
「浦島太郎の玉手箱」も「パンドラの匣」も皆そうですね。
「なんでも表現してしまう」というのも、
見る人の精神状態や年齢を考慮する、という配慮が必要だと思いますが、
「表現を制限する」というのは、
真実を的確に伝えるためには避けるべきだと思います。
やっぱり、「○○○」は過剰な妄想をうみますよ。