タイムリーな時に書き損じたのですが、
やっぱり大切なことなので記録しておきます。
8月19日朝日朝刊3面(総合)の右下に、
親日派の財産没収へ調査委
韓国で発足
の見出しあります。
これは別に目新しいことではなくて、
盧政権になって現代史を見直す流れがあって
その内の1つで、
対日協力者が築いた富をもとに独立後も既得権層に居座っているのは不当との考えに基づき昨年末法律が制定された。
財産没収の可能性がある「親日派」は1910年の日韓併合を推進した役人や帝国議会議員、独立運動家を拷問・迫害した人ら。05年の第2次日韓協約(乙巳条約)で閣僚として日本側についた李完用*1
が確実視され、教師や軍人を勤めた朴正熙元大統領も含まれる可能性がある。
この記事を読んで日本人として、
どんな感情を持ちますか。
私は「韓国は日本を許していない」そんな気持ちを持ちました。
日本って戦後韓国に何もしていないってことは無いでしょうし、
それなりの謝罪も賠償も行っていると思うのですが、
どうなんでしょう?
こういう流れを韓国の大統領が作っている事。
私は悲しく思います。
私は怒りに感情は向かいません。
どうしたら許されるのでしょうね。
この場合は国家間の話ですが、
この記事の少し前に、ドイツのノーベル文学賞受賞作家のギュンター・グラスさん、
ナチスに批判的な作風の小説家の方ですが、
「ナチス親衛隊に属していた」
と告白して問題になっていました。
勇気ある告白ですが、
「ノーベル賞を返上しろ」
という意見まで出ているようです。
私グラスさんの小説読んだこと無いですが、
代表作ブリキの太鼓ですね。
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ナチスに関係があると社会から制裁を今でも受けるのですね。
でもグラスさん戦争終了時で17歳ですのでそんなに分別があるとも思えません。
まして物心ついた時にはナチスが政権握っていて、
そういう教育受けているはずなので、
仕方がないと思うのですが、
許されないのですね。
日本の場合当時のできる生徒は、海軍や陸軍の大学に行ったようですが、
そういった職業軍人も戦後裁判で裁かれていない人たちは、
普通に庶民の生活の中の入ったように思うのですが違うのでしょうか。
ドイツは戦後ナチスがやった、ということで戦争責任が日本より明確になっていたということなのでしょうか?
私は受験日本史選択で普通の人よりは日本史の勉強したのですが、
未だに日本の戦争責任は誰にあったのか理解していません。
この辺が日本の内部でも曖昧になっている所が、
未だに近隣諸国への責任を取りきれていない現実にリンクしているのかもしれません。
この問題も日本人としては既に責任を取っている感覚になっていますよね。
でも近隣諸国では責任を取ってないと思われている。
このギャップに戸惑っている日本人がいますね。
そんなこと何時までもやっていると「相手がつきあがる」
そういう考えもあるでしょう。
でもそういうことでは、これから先も何の進歩もありませんね。
韓国のように日本も現代史をきちんと見直す必要ありそうです。
でも高々60年程度前の事ですが、
歴史に対する理解の仕方に、様々な思惑が重なって、
真実は後世に残せなそうな気がします。
世界から見て日本は「許す」国なのかもしれません。
何時までも相手を恨んで暮らすことは幸せなことだとは思いません。
ヒロシマ・ナガサキ、アメリカを恨んだ人たちも多かったことでしょう。
でも現在の流れはアメリカを恨むことではなく、
非核・平和への流れになってるように思います。
その中で原子力発電やって、石油価格上がっても電気代抑えられる国になっています。
日本人の許す心が今を生んだのかもしれません。
だから「近隣諸国も許してよ」とも思いますが、
おそらく許されるような話し合いをきちんとしてこなかった、
日本の政治責任がそこにあると思います。
戦争責任が誰にあるのか曖昧なので、
「国家として責任取る」
しか日本には方法がなさそうに思うのですが、
いかがなものでしょう?
私も何処で見たか、聞いたのか忘れてしまったのですが、
イスラム系の人たち日本に親近感あったようなのです。
戦争でアメリカにやられていることがその一員にあったようなのです。
9:11の後「で、日本はいつアメリカをやるんだい」
って話が出たとか出なかったとか。
そういう復讐とかいうことをすっかり忘れていた私は、
これを見たか、聞いたかしたとき妙に感心した覚えがあります。
許さない・忘れない、そういうことですね。
でも日本人の「許す」心、昔からあると思います。
例えば秀吉の高松城攻めです。
(高松城って香川県じゃなくて、岡山県なんですよ)
これ城主の清水宗治の切腹+兄の月清入道ら計4人の切腹であと皆助けてしまったりしていますね。
ただこの時信長が本能寺で暗殺されて、
「とにかくこの戦をはやく終わらせないと」
という特殊事情はありました。
#この部分、後述しています。
後から思い出したのですが、明治政府も敵の大将徳川慶喜さん殺害していないですね。
明治政府を幕府なくなった後の江戸の町民も受け入れています。
平家も子供の頼朝・義経助けています。
そのせいで自分たち滅ぼされてしまいますね。
多分アメリカ日本の占領前に日本の研究かなりしていたので、
天皇を戦後東京裁判にかけなかったのは、そういう日本人気質研究の成果かもしれません。
でも敵に塩を送ったりするそういう話けっこう日本の歴史で多くないですか?
信長の延暦寺とかを例外にして、
私たちの祖先って「皆殺し」みたいなこともあまりしてこなかったように思います。
最近の「死刑を望みます」みたいな感覚どうも私にはなじめません。
*1:私、この人の名前知りませんでした。日本の朝鮮併合時の総理大臣です。中立的な立場で書かれいるURL探してみましたが見つからなかったので載せません