夢を与える

綿矢りさ・さんの新作読みました。
試験が終わったらしようと、思っていたことの一つです。
実は読書の前に、部屋の掃除をして、
狭い部屋なのに、そっちの方が時間かかりました。


本題です。
「夢を与える」
このタイトル見た時、ものすご〜〜〜く違和感、感じました。
私なら、絶対・絶対・絶対こんなタイトルつけません。
思い上がっている。
というか、
尊大
というか、
「何様のつもりなんじゃ」
そんな感じを受けるタイトルで嫌悪感さえ覚えます。
私なら、
「夢が持てたら」
「夢が見れれば」
「夢を求めて」
そんな感じのタイトルになるかと思います。
(だから素人なんですが)


違和感、持ったまま読みました。
綿矢さん、
ただもんじゃないですね。
ご本人も私と同じ感情をこのタイトルに抱いています。
それでも、あえてこのタイトルつけてますね。
私みたいに、読めばわかりますが、
タイトルだけ見て嫌悪感、感じた人絶対この本買いませんよ、
その上に
「最年少で芥川賞取ったからって、思い上がるんじゃないよ」
タイトルだけ見るとそのくらい思われても仕方ないですね。
そのリスクを、恐らく承知の上でこのタイトルつけた、
綿矢さんの勇気素晴らしいと思います。
そして芥川賞受賞の「蹴りたい背中」の2003年出版以降、
次作を3年以上待ち、その作品にこのタイトルを認めた、
河出書房新社の勇気も素晴らしいと思います。


恐らく直接的に「与える」という言葉に対する違和感、
作者が持っていることを書かずに済ませれば、
もっと素晴らしかったと思います。
引用はしませんが、作品中主人公の「夕子」にそのこと、
語らせています。
でもこの部分無くても、充分その思い伝わるだけきちんと書けています。
さすがの綿矢さんも、そのこと書かないで済ませる勇気は無かったようです。
もちろん単純な私は、作品中にそのことに触れている場面読んで、
妙に安心してしまいました。
で、綿矢さんの気持ちわかった気になって、こんなこと書いていますが、
ご本人は、もっと上からの視線と、思考で書かれているのかもしれませんね。


続編を書かないのかも知れませんが、
続編書けるような作品になっています。
まだ「文藝」に掲載されただけの状態なので、
単行本化にあたり加筆・修正があるかも知れませんが、
出来たらこのまま出して欲しいですね。
そうじゃないと、加筆・修正部分気になって、
単行本買ってしまうと思います。


本の内容に触れること楽しみにしていた方申し訳ありません。
でも読むなら今の内ですよ。
本が出てしまうと、綿矢さんの新作ということで話題になるの目に見えています。
アッチコッチに書評出るでしょう。


他人の先入観を抜きに、
自分の目で読めるのは、
今がチャンスです。


ですのであえて書きません。