富岡製糸工場

ユネスコ世界遺産暫定リストに追加登録されていますね。
正式登録されると混雑しそうなので、その前に行っておこう。
そんな発想です。
ホームページこちら↓
http://www2.city.tomioka.lg.jp/worldheritage/index.shtml
富岡駅はJRではなくて上信電鉄が走っています。
18切符ではいけません。(私鉄代出せば可能ですけど)
入り口正面の「東繭倉庫」です。

繰糸場内部です。

富岡製糸工場明治5年明治政府によって作られていますが、
当時富岡に電気来ていなかったそうです。
そのためガラス窓が沢山あって明かりついていなくてもこのくらい明るいです。
時間はAM10時です。
繰糸場天井です。

ブリューナ館です。

ブリューナさん、富岡製糸工場作るため、フランスから高給優遇で雇われた方です。


工場内の唯一の煙突です。
繰糸場側から撮っています。

同じ煙突を遮る物がない西繭倉庫側から撮っています。

中庭です。上の写真と似たような場所から違う場所撮っています。
同じ建物一部写っています。

女工哀史とか野麦峠連想されますが、
あの山本茂実さんの「ああ野麦峠」の舞台は富岡ではありません。
この小説の舞台はこちら↓ご覧ください。
http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/nomugi.htm
一部引用させていただきます。

明治〜大正時代、信州へ糸ひき稼ぎに行った飛騨の若い娘達が吹雪の中を命がけで通った野麦街道の難所、標高1672mの野麦峠。かつて13歳前後の娘達が列をなしてこの峠を越え、岡谷、諏訪の製糸工場へと向かいました。

富岡製糸工場は、毎週日曜休みだし。
労働時間もきちんとしていて、給料も能力給が導入されていますが、
世間相場考えると良かったようです。
ですから、能力の高い女工さんは高給取りです。
さすが官営ですね。


私の、曽祖父明治1桁生まれです。
早く亡くなっているので、私の父も面識ないそうです。
その曽祖父ですが、東武鉄道関係の仕事をしていた関係で、
JRの碓氷峠の工事にかかわっていたそうです。
父親がそのことを調べるために横川行きたがっていました。
これも、調査となるとやっぱり車必要ですね。
JR横川から先、新幹線開通時に、普通路線廃線になっています。