嘘ついてたみたい

横浜の中華街行った事ありますか?
中華街って中に入ると道路の向きが45度ぐらいずれています。
地図ご覧ください。
神奈川県横浜市中区の地図(スクロール) | ゼンリン地図・いつもNAVI
ですので、中に入ると微妙に方向感覚がずれてしまいます。
そのことを、私今まで人に説明するのに、
「中華街を作る時に、そこは風水の本場、ちゃんと風水見て作ったので道路の方角が周りと違うんだ」
な〜んてウンチクをかたむけていました。


イヤ〜参った。
私嘘つきだったみたい。
私の言葉信じてくれていた人本当に申し訳ありません。
昨日の朝日・朝刊神奈川版(手元の新聞で31面・地元でしか見れない記事ですね)

中華街の街並み、なぜ斜め?
     ↓↓↓
「江戸期の水路を道にしたため」


有力説登場 横浜開港資料館・伊藤研究員が推測


「古地図眺めて」気付く■30日から同館で謎に迫る企画展

の見出しと、実際の古地図と、現在の航空写真載っていました。


記事から一部引用します。

 江戸時代末期の1851(嘉永4)年当時の横浜一帯を描いた「横浜村并近傍之図」(横浜市中央図書館蔵)には、現在の中華街とほぼ同じ場所に、「横浜新田」という記録がある。中華街と同じように、あぜ道と見られる道が斜めに記されている。

中華街の公式ページによると。
http://www.chinatown.or.jp/magazine/qanda/ans/faq1.html

中華街の始まり
中華街は外国人居留地が発展した街で、安政4年にペリー提督が浦賀に来訪したときに、徳川幕府が横浜を貿易港として定めたのが始まりとされています。

とのこと、安政4年は、
ウィキペディアによると。
安政 - Wikipedia

安政(あんせい)は、日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1854年から1859年までの期間を指す。この時代の天皇孝明天皇江戸幕府将軍は徳川家定徳川家茂

とのこと1858年で良いのでしょうか?
どっちにしても「横浜村并近傍之図」の方が先に作られています。
新聞に掲載された、地図と今の写真見比べると、
どうも今回の説が有力な気が私もします。
でも、
「中華街建設当時風水を元に街を作った」
って言う雄大な構想がすっかり無くなって、
「昔あった通り沿いに中華街が形成された」
なんかすっかり普通になってしまいました。
でも確かにそんなもんかもしれませんね。
でも、
「なぜ、この場所は中華街が出来る前から街並みが斜めだったのか?」
この疑問解決しませんね。


ここまで書いて、今「横浜村并近傍之図」で検索かけたら、朝日のこの記事図・写真付で公開されていました。
リンク切れになる前に1度ご覧ください。
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000000801250001