国母さん

2010-02-13 オリンピック - なんやかんや
に書いたことの続きです。
国母さん結果8位でしたね。
競技前、朝日さん国母さんが、先輩の病気回復のために手を尽くした事、その先輩の話で記事にしたり、
パッシングを受けた国母さんを非難するより、擁護姿勢の記事書いてました。
私も13日にそういうこと書いたのですが、
昨日結果を受けて書こうと思ったのですが、
朝刊の天声人語を読んだら、内容が良くて書けなくなりました。
天声人語、有料版じゃないと読めなくなります。
全文引用しときます。
タブン2月25日まで、ここで読めます。
天声人語:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/paper/column.html

騙(だま)し絵で知られるオランダの画家エッシャーに「滝」という作品がある。水路から落ちる水が水車を回して流れる。流れを目で追っていくと、あれ? また同じ落ち口に戻っていく。錯覚を巧みに使い、現実にはありえない無限連鎖を描いた傑作とされる▼ありふれた無限連鎖も人の世にはある。「今どきの若い者は……」の嘆きである。かのソクラテスも若者に嘆息したそうだ。言われた者がいつしか言う年齢になり、生きかわり死にかわり、有史以来のバトンリレーが続いてきた▼かつて「太陽族」があり「みゆき族」があった。五輪スノーボード国母和宏選手の服装問題も、逸話の一つになろう。だいぶ叩(たた)かれ、国会でも取りあげられた。出場辞退がちらつき、本人は開会式参加を自粛した。「バンクーバー五輪外伝」として記憶されるに違いない▼多少の小言はわが胸にもある。にも増して、ひとりの若者のささいな「未熟」をあげつらう、世の不寛容が気になった。若いネット世代からの非難も目立ったと聞く。どこかとげとげしい時代である▼皮肉屋だった芥川龍之介に一言がある。〈最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑(けいべつ)しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである〉。だが、若い身空でその処世術にたけた人物が魅力的だとも思えない▼「両親が見えた。応援してくれるのでうれしかった」と臨んだ決勝ではふるわなかった。8位は不本意だったろうが、次がある。4年後に、「今の若い者は」と嘆くほど自身が老け込んでいないよう、願っている。

私も、以前から、
今回のことに限らず、
「世の不寛容が気になった。」
そう、私も、ものすごく気になります。
不寛容になって、みんながイライラして、犯罪が増えているような。
「寛容さ」言葉を変えて「おおらかさ」「ゆとり」
ゆとり教育」はチョット違う気がしましたが、今の時代にこのニュアンス必要だと思います。


4年後国母さんがオリンピックに出ていようが出ていまいがどうでも良いです。
彼が出たければ出ればいいし、出たくなければ出なくていい。
ただ、今の角がすっかり取れて丸くなって欲しくないな。
丸くなるなら、今の角が隠れる大きな丸になって欲しいです。
それに角が取れて丸くなったのでは、ただの生意気なやつ。
角が隠れる大きな丸にならないと、オリンピックで金メダルとか、国母さんが目指す大会で頂点には立てなそうな気がします。
こんなようなこと、以前別件で書いてましたね。


昨日の朝日・夕刊にも5輪面(手元の新聞で11面)に、
バンクーバー
息苦しい「魔女狩り
のタイトルで西村欣也さんの署名記事ありました。
asahi.comから全文引用します。
asahi.com(朝日新聞社):息苦しい「魔女狩り」 - @バンクーバー - バンクーバーオリンピック2010
http://www.asahi.com/olympics/columns/from_vancouver/TKY201002190284.html

息苦しい「魔女狩り」2010年2月19日17時0分
 国母和宏バンクーバー五輪が終わった。ハーフパイプ予選2組の2位で決勝に進出した。決勝では8位。8位に終わったのではなく、8位入賞だ。17歳でのトリノ五輪予選敗退から4年。悔しさ9割にしても、1割の充実感は、その表情から確実に感じ取れた。

 それにしても、開幕前の騒動は何だったのだろう。

 成田出国時の「腰パン」、ズボンからのシャツ出しに対し、日本オリンピック委員会(JOC)などに抗議が寄せられたことから、狂想曲は幕を開けた。JOCはあわてて入村式への参加を取りやめさせ、その直後の記者会見で国母の「ちっ、うるせいな」。「反省してま〜す」発言が出た。

 さらに批判がエスカレートした。全日本スキー連盟からは競技参加の辞退までが申し入れられた。橋本聖子団長の判断で開会式の出席は禁止されたものの、競技への参加は許された。

 騒ぎ過ぎではなかったか。まるで「魔女狩り」だった。まず服装問題。日本選手団公式服装着用規定に「日本選手団に認定された者は、自覚と誇りを持って公式服装を着用しなければならない」とある。確かに、国母はドレスコードに違反したかもしれない。しかし、それ以上でも以下でもない。

 記者会見の発言は非難を浴びても仕方ないだろう。「あれは僕のファッションです。でも、多くの人が不快に感じたとしたら謝らなければいけません」と話せば騒動は沈静化したかもしれない。

 今大会、フランス勢は全員が先の跳ね上がったひげを口の上に描いて競技に臨んだ。優勝したショーン・ホワイト(米)の髪はウエーブがかかり、肩よりも長い。これがそれぞれの国で問題になるだろうか。

 数年前、大橋巨泉さんと対談をしていて、民主主義の根幹の話になった。彼は思想家ボルテールの言葉をひいて言った。「『君の言うことには100%反対だ。でも、君の発言の自由は命をかけて守ろうと思う』。これが民主主義じゃないですか」

 国母のファッションや言動に、僕も確かに違和感を感じる。でも、それに対して寛容でありたいと思う。価値観の押しつけは息苦しさしか生みださない。(編集委員・西村欣也)

西村さんも寛容について書いてますね。
大橋巨泉さんが話した、ボルテールさんの一言、最高!
「『君の言うことには100%反対だ。でも、君の発言の自由は命をかけて守ろうと思う』。これが民主主義じゃないですか」
あれ、これ又・又・又聞きですね。
ボルテールさん>大橋巨泉さん>西村欣也さん>私
ですね。
寛容さが無くなって、異端を排除していった世の中に私は全く魅力を感じません。
平均的なのってつまらないです。
その発想からでも、人類の進歩はあるのでしょうが、
「それでも地球は動いている」
言って欲しいですね。
たとえどんなに批判されようと、大切な事ですよ。
服装の乱れとは次元が違いますけどね。
寛容さの無い、偏狭な時代になって困るのは、国母さんだけでは無くて、私たち全員だと思います。
似たような事書いています。
2008-07-09 木を見て森を見ず - なんやかんや
あとせっかくなので、ボルテールさん調べました。
ヴォルテール - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB/
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB/