機械の人格

深夜サッカー、見てた方多いですね。
試合終わったの今日です。
後半終了際の失点日本多い気がしていたので、最後まで緊張してました。
岡田さん、負けたら大変でした。
今度は誉められて、勝負の世界は厳しいです。
「本田さん、岡崎さんから変えてのぶっつけ本番」と今日の朝日の1面に書かれていました。
はやぶさ君、に続いて日本を元気にしてくれましたね。


本題です。
昨日も書きましたが、はやぶさ君、機械であることわかっていますが、そこに人格を感じている日本人多かったのではないでしょうか?
エンジンを自分で修理したり、イトカワへの最初の着陸で危険を感じで回避したり、元々はやぶさに自分で判断する能力を持たせていたようです。
日本人って「鉄腕アトム」とか、ロボットが人格を持って一緒に生活することをなんとも思っていないのではないか?
ロボット開発者も、機械と言うより、人により近いもの作ること目標としていますね。
アトム最初昭和26年に書かれたようです。
http://www.asahi.com/ad/clients/atom/tezuka_50years.html
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手塚さんのおかげで、今60歳ぐらいの方でも、子供のときにアトム見ていて、もっと下の世代にはドラえもんがあります。
機械を機械として扱うのではなく、さも人格があるように愛情を込めることができる。
そこが日本人のよさかもしれません。

もう1つ例を挙げます。
たぶん、村上龍さんのメルマガだったと思うのですが、冷泉さんが映画AIについて書いていたように思います。

A.I. [DVD]

A.I. [DVD]

この映画、日本は当ったのですが、アメリカではこけたと。
いけませんね、事実かどうか調べます。
A.I. - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/A.I.

本国のアメリカでは興行的に失敗に終わったが、日本では興行収入96.3億円と大ヒットを飛ばして製作費を楽々と回収した。

ありました。事実のようです。
こんなストーリーです。

未来。 あるロボット会社が「愛情」を持つロボットの開発に成功する。少年型をしたそのロボットはデイビッドと名づけられ、試験的に同社の社員であるヘンリーの元に送られる。ヘンリーとその妻モニカの幼い息子が難病で死に瀕していたため、デイビッドは息子の身代わりとしてモニカに起動される。モニカへの絶対的な愛情を刷り込まれるデイビッド。しかし息子マーティンが奇跡的に病気から回復すると、デイビッドはマーティンからいじめられ始める。

この映画、私も、デイビッドの気持ちになって結構泣きそうになってます。泣いたかもしれません。
その分析で、日本人は機械に感情移入ができる。
てなこと書いてあった気がします。
この映画こんないきさつもあります。

元々は、スタンリー・キューブリック監督の企画であったが、キューブリックが死去したため、スティーヴン・スピルバーグによって監督された。ただしクリスティアーヌ・キューブリックスピルバーグ本人によると、キューブリックは元々監督をスピルバーグに任せ、自身は製作に回る予定だったらしい。その後、スピルバーグは監督を任せるとキューブリックに言われたとき、1度は断り、キューブリックが監督することになったという。

良いとか、悪いとか抜きにして、お2人とも、物を物としてしか見られない方達では無かったということでしょう。
以前も書きましたが、物にこだわっていないから、音楽MP3でダウンロードとか、電子書籍とかものすごい発想ができることも認めないといけません。
ある意味革命ですねこれは。
2010-05-21電子書籍 - なんやかんや
2010-05-22電子書籍(その2) - なんやかんや


話しもどします。
全天周映画「HAYABUSA」も、上映中に涙するのは日本人が多いのかもしれません。
物に愛情があれば、物を正確に作ろうとする。
たとえねじ一本でもね。
使う方も大切に使う。
国産品、技術が優れているというのもありますが、制作者の使う側の視線に立った発想。
機械自体の使いやすさ、耐久性も考える。
さらに最近は省エネなんてのもありますね。
そういうのって、アトムで育ってAIに共感できる。
不思議な文化を持った私たちの良い面なのだと思います。
その文化がはやぶさ君の帰還にも役立った。
日本人の心が荒んだり・油断したり・驕(おご)りの気分になったとき、そういった丁寧さも失われて粗製濫造 もありますね。
食の安全とか、リコールとかの報道見かけること増えているようにも思います。
はやぶさ君には失礼かもしれませんが、過去の遺産が、今の私たちに元気を与えてくれる。
ほんと、よく帰って来てくれたね。
そして良い物造りの成果ですね。
昨日からこんなこと考えていました。


最期に個人的なお話を1つ。
新しい2ドアの冷蔵庫もらって、20年ぐらい共に生活した小型の冷蔵庫まだ使えるのに廃棄処分した時、リサイクル法の関係で有料で引き取ってもらったのですが、お店の方が台車で私の冷蔵引上げる時。寂しさと罪悪感ありました。冷蔵庫も寂しそうにしているの感じたのですが、私変でしょうか?
そんな経験ありませんか?