吉田昌郎さん

朝刊読むまで、今日は吉田昌郎さんのこと書こうと思っていました。
昨日の朝日・朝刊社説引用します。

幻の注水中断―いい加減にしてほしい


 大いなるフィクションに世間が大騒ぎをさせられた。国会でも、この虚構をもとに野党と政府が激しくやり合った。

 福島第一原発の事故発生翌日、1号機への海水注入が55分間中断した事実はなかった、というのである。

 東京電力の訂正報告が本当なら、福島第一の所長が東電本社の指示に従わず注入を続けたことを経営陣が2カ月以上も知らなかったことになる。会社の体をなしていない。

 所長の判断には理解できる面がある。壊れかけた原発で、注水の中断は、絶対してはいけないことだったのだろう。

 ただ、それで強行突破したのなら、事後に本社に伝え、本社は中断指示の経緯も含めてすぐに公表すべきだった。

 事故直後、分単位でどんな手を打ったかは、事故の拡大防止を考えるときに欠かせない基本情報だからだ。

 結果的に正しい判断だったとしても、政府や東電の発表内容に対する信頼が大きく損なわれた。こうしたことが続けば、事態収拾への道筋に悪影響を与えるばかりでなく、国際的な信用も失ってしまう。

 もっと深刻なのは、政府と東電本社と現場とが、現在にいたってもバラバラで連携できていないことが、発表をめぐる混乱を通して露呈した点だ。

 互いに責任を転嫁するばかりで、いまだに事実関係すら明確にできない。

 東電から海水注入の方針を告げられた政府がすぐに了承しなかったのはなぜなのか。最終的な指示を出すまで、どんなやり取りがあったのか。

 政府は「再臨界の可能性を検討した」という。だが、専門家は一様に「真水から海水への切り替えで再臨界の可能性が強まることはない」と指摘する。

 ならば、原子力安全委員会や東電幹部らが、一刻も早い注入を首相に助言できたはずだ。それとも、首相に聞く耳がなかったのか。

 政府と東電の間で、国民や作業員の安全より政治的な思惑や自身の面目、あるいはトップの顔色をうかがうことばかりが優先されているのだとすれば、言語道断だ。

 福島第一での作業は今も続いている。一つ間違えば惨事につながりかねない課題ばかりだ。

 首相は、現場の判断を尊重しつつ正確な情報をあげさせ、多角的に検討して適切な決定がくだせる態勢を、ただちに整えるべきだ。

 東電が所長を処分して終わりにするような問題ではない。

吉田昌郎さん、この福島第1原発の所長さんです。
結果よければ全てよし。
上手く行って良かったです。
国会で「止めたのかどうなんだっ」て問題になってました。
結局それ以前の問題として「止まっていなかった」
チャンチャン


これ色々問題が多い。
止める止めない、確かに首相が判断すべき事かもしれません。
でも、菅さんいくら東工大卒とはいえ、原子力は専門家にはかないませんよね。
たぶん、専門家の方も、首相官邸に詰め掛けていて、その意見を聞いていた事でしょう。
でも、その専門家でも、どうしたらいいのか?
わからないのが今回の事故。
私はそう思っています。
決めるのは菅さんでも、それはどっちをとっても危険な2者択一のくじに過ぎない。
そういう認識が必要だと思う。
引いたくじにしたって、結果が良かったのか悪かったのか、
引いてすぐの結果と、10年後の評価が変わる可能性だってありますね。
原子力って、危険を承知で発展途上の技術に試行錯誤しながらすがっている。
そんな認識も必要です。
国会でのやり取りは、私には興味を持てなかった。
責任は誰にあるのか、明確にする事は大切です。
国会に限らず、今行われようとしている事は、責任とる犠牲者を出して、納得。
それで話を先に進めようとしている気がしてならない。
前向きな解決にならないよね。
大事なのはそこじゃないよ。


少し、話変えて、吉田昌郎さんのこと。
この方、注水勝手に続けて、自分で責任取るつもりあったと思う。
東電は「第一原発の所長はその権限がある」って言っていますが、
それも事実かもしれませんが、上から止めるように言われて、止めていなくても報告しないのは問題ですね。
その場で、
「命令ですが、止めるこことはできません」
って言えなかったのでしょうか?
それとも、現場の声を東電の上層部は聴かなかったのだろうか?
それとも、聞いていても、吉田昌郎さんに説得力が無かったのだろうか?
説得できなくても黙って勝手にやったのだろうか?
言うことを聞いたふりをして勝手にやっちゃうことに抵抗が無かったのだろうか?


東電ってどんな組織なんだ?
そんな疑問ばかりが浮かびます。
不思議?
これもう、疑問だらけ。
疑問の連鎖から抜けられません。
吉田昌郎さん。
問題はあると思いますが、非難は出来ないと思う。
吉田さんだけに責任を取らそうとしているのなら、それは大間違いだ。
追い討ちをかけるようにさらに書くと、国会で問題にならなければ、この事実私たち知らなかったのでしょか?
あと、IAEAの視察も公表の追加用件ですね。
これもう、東電内部での意見交換のシステムが死すてむ。(いま誤変換出てきて思わず笑ってしまって、そのまま記述してしまいました。)
現場が上に意見を出しにくく、安全神話の元に上から現場を押さえつけているのなら大問題。
これは、責任を誰かに取らせて終わらせるのではなく、風通しを良くするまで、きちんとやらないとだめです。
技術が高度で、誰も全体を理解できていなくて、それでもシステムが動いていた。
しかも、色々な意見も視点もあるはずなのに、それが、体制側の求める方向にしか出てこなかった。
修正では無理でしょうから、一度破壊して再度築き直す必要あります。
すっかり、静かな気持ちでなくなったので、さらに続けます。


注水以外にも、
発電所内での水素爆発を防ぐために、中の空気を放出していれば良かった」
なんて、後出しじゃんけん、みたいな話し出ています。
それはそうでしょうが、もし中の空気を放出していたとして、それでも
「確実に爆発が防げた」
なんて誰にもわからないはず。
そして、
「中の空気が、ものすごく汚染されていて、爆発が防げたとして、その空気の汚染で凄いことになっていた」
そんなシナリオの否定が誰にもできなかったと思う。
空気の汚染がたいした事なかったとしても、空気を排出して爆発が無かった場合。
汚染された原発内の空気を排出する必要があったのか?
そんな問題を誰かが指摘したと思うのです。
攻撃が最大の防御、自分が多少でも危ないと思った場合、
「どおなってんだ <`ヘ´>」
って先に言ったもん勝ちみたいになっていないだろうか?


原発は、意見も視点も沢山あって、正解が誰にもわからない。
今は試行錯誤の段階だと思う。
だから、
「どんな選択をしても、やってみないと吉と出るか凶と出るかわからない」
そんなケースが地震の後何度もあったし、これからもあるのだと思う。
終わった事をネチネチ言うのはよしましょう。
でもね、終わったと事を明日のためにしっかり検証して生かすことは大切で、絶対にやる。
ここの所とても大事。
同じ事を言っても、「ネチネチ」と「明日のためにやっている」ことの差は活字で見たらわからないかもしれないけど、本人の態度で感じる事は出来ると思う。
東電という組織と、この日本国政府という組織。
どちらも、今回の事故は、自然災害から、人災へと移行してきている事をしっかり認識して、上下間の意志の疎通がきっちりできる、風通しの良い組織への変革を明日のために求めます。
それが、国民の目から見てわかるようになるまでの変革が必要だと思います。