希望の国のエクソダス (その2)

昨日寝てしまったので続きです。
コメントなしでどんどん引用します。
文庫330P

良く考えてみると、日本には希望がないというのはどういうことですか、という質問はおかしい。日本には希望がない、という事以外には意味がないし、それ以上の説明のしようがない。しかしニュースショーのキャスターはそういう風に聞く。それが確認の儀式だ。学校に行くのを止めた15歳の少年はそういう儀式から自由なのだが、あの予算委員会の議員と同様に、キャスターたちはその事に気づく事ができない。


331Pの最後の行から332P
 

 はい。リスク管理が重要なのはおわかりいただけると思うんですが、リスクというのは特定できないと管理できないんです。この国では原子力とか内分泌物攪乱物質とか、あるいはそれらを含む環境モデルまで拡げてもいいんですけど、また、安全保障とか治安とか金融システムとかそういうマクロモデルでもいいんですが、要するに二、三パーセント程度の確立で起こる中小規模のアクシデントやクライシスに対するリスクの特定はできているんだけど、0.00000一パーセントの確立で起こる超大規模のアクシデントやクライシスに対しては最初からリスクの算出はやらなくてもいいということになっているんです。そういった傾向は家庭から国家まであらゆる単位の共同体で見られるので、結局リスクマネジメントができていません。それはマジで危険なんで、ぼくらとしてはその共同体から、つまりぼくらにとっては学校とか家庭ですが、何とかして、自由になるしか方法がなかったというわけなんです。新興宗教原理主義者たちのテロとか核燃料施設の事故とか、あるいは将来ぼくたちが社会参加していくときにどうやってサバイバルしていくかということまで含めて、普通、学校というところはリスクを特定してくれて、そのリスクを管理するための訓練とか勉強を行うんだと思うんですね。それがない以上はそこを出て、自分たちなりにリスクを特定しながら、それを管理するようにしないと、あまりに危険すぎるでしょう?


385P

 現在国際標準の環境税が日本にも導入されれば、北海道内の企業は野幌エコファンドに加わるほうがはるかに有利になる。しかも化石燃料は将来的には消滅する。もちろんそのときに風力発電が主力になるという考えは現実的ではないかも知れないが、太陽光発電とともに重要な選択肢の一つになることは間違いない。われわれはそのときに有力なノウハウを持つ日本唯一の電力会社として社会に貢献したい。


405P

それまで勤めていた銀行では競争があったんですが、基準が曖昧なので疲れるんです。誰がどういう基準で評価しているのかわからない競争なんですよ。それで負けると終わりなんです。極端な事を言うと、上司に気に入られた人が勝ちなんです。一回気に入られれば、もうその評価が付いて回るんです。そういうことってすごく疲れるんだってDスクールに入ってから、気づいたんです。


引用中に小説読まないと意味が全て理解できない部分もありますが、
引用文以外の下手な説明は今回は避けておきます。


思うところ少し書いておきます。
作品中で、中学生たちが手がけるビジネスがあるのですが、それが面白い。
龍さんこの作品の後、2003年
13歳のハローワーク

13歳のハローワーク

13歳のハローワーク

書いています。
ご飯の食べられる、仕事。
ご飯の食べられる、大人。
そういう視点感じます。


上の引用部分にもありますが、
学校に頼らない。
学校に過大な期待をしない。
そういう視点も感じます。
私も共感しています。
この本を読んで、もう一冊借りてきて手元にあるので、その事もまた書きます。