伊藤計劃記録・伊藤計劃記録 第2位相

隣の市の図書館で借りていた、伊藤計劃さんの2冊読みました。
収録されている小説については、既にここに書いた、
The Indifference Engine

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)

に収録されていました。


伊藤計劃記録

伊藤計劃記録

伊藤計劃記録

この本半分ぐらいは映画評です。

伊藤計劃さんのこと最近まで知らなかったので、
故人となっている今、インタビュー記事に触れることで生前の様子を感じることが出来た気がしました。
円城塔さんとのインタビュー記事も掲載されていました。
円城さんのこと調べていて、
円城さん芥川賞受賞会見で、伊藤さんの書きかけ(といっても冒頭の30枚程度)の「屍者の帝国」の続き書いていることを話したという情報をつかみ。
図書館で円城さんが受賞したときの作品が掲載された「文藝春秋」書庫から出してもらって読んだのですが、
そのこと詳しく書かれていませんでした。残念。


で、WEB検索。
ありました。
リンクします。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/106745.html
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/106745.html
将来、リンク先が無くなる可能性があるので、
その部分だけ引用しときます。

Q:純文学、SFとか幅広いが今後は。


いろいろやっていければと思っているが、とりあえず次なんですが、私は今年でデビューして5年目になるが、ほぼ同時期にデビューして3年前に亡くなりました伊藤計劃という大変力のある作家がいたんですが、伊藤計劃が残した冒頭30枚ほどの原稿があります、それを書き継ぐことは出来ないんですが、完結させるということをこの3年間やってきました、そろそろ終わりそうです。なぜお前がという批判はあると思うんですが、次の仕事としてやらせて頂ければと思っています。



Q:伊藤計劃さんの書き継ぐ作品について。
また奥さんは円城さんの作品についてどう言っているか


後の質問からですが、あまり聞かないことにしています、こっそり読んでいてもあまり教えてくれるなと言っています、日々の暮らしのことですので、横にいつも読んでいる人がいるとつらいというのはあります。
伊藤計劃は「屍者の帝国」というのが(未完で)残っています。
友人だったのかと言われると、あまりにも早い短い期間だったので他にももっと昔からの付き合いのある人もいて、私が友人面をするのはあれなんですが、大変優れた作家であって大変僕も影響を受けた作家だったということなので大変残念でした。

Qの内容補足しますと、円城さんの奥様は作家の田辺青蛙さんだそうです。


伊藤計劃記録 第2位相

伊藤計劃記録:第弐位相

伊藤計劃記録:第弐位相

こっちは半分以上、伊藤さんが生前に書いていたブログからの抜粋です。
このブログ読もうと思って、以前書いた。
2014-08-29 虐殺器官 - なんやかんや
でアドレスリンクしておいたのですが、(再度リンクしときます)
伊藤計劃:第弐位相
結局読んでいなかったので、今回読みました。

虐殺器官で登場する戦士達、痛さ感じるけど、痛くないように施術されているのですが、
実際伊藤さん自身がガンのため足が傷みを感じないこととかも書かれていました。
闘病記のようにも読めるのですが、伊藤さん心が強い方です。
弱音を書かないわけではなく、書いているのですが、それでも前を向いています。
317pに母校の(武蔵美です)芸術祭に行って所属していた漫研に顔を出して、

篠房六郎氏をはじめとする私の年代の部員が数名いて、

という記述があり。
篠房六郎さん知らなかったので検索してみたら、現役の漫画家さんでした。
ツイッターもされていたのですが、ブログの方リンクしておきます。
篠房六郎日記
http://cgi.din.or.jp/~simofusa/cgi-bin/jinny/
10年03月20日(土)から更新無いのですがそのときのタイトル

... 一周忌に寄せて

その前1年ほど更新無くて、
09年03月23日(月) そのときのタイトル

... 伊藤計劃先輩のこと +

お時間あればリンク先ご覧ください。
伊藤さんのブログ読んでいるとご本人があまり辛いほうに向かって書かずに、元気な方向に向かって書き続けているので気付きにくいのですが、回りにいる人間はかなり辛かったとこがよくわかります。
伊藤さん自身が自分の性格について「オタク」発言とかはあるのですが、他人の目にはどう映っていたのか、よくわかります。
素敵な方ですね。
2箇所だけごく短く引用します。

「アイツはあの病気がなけりゃ、作家にはならなかっただろうな」
漫研の先輩方との話の中で、驚いたのがこの言葉だ。
どうしてそう思うのかと聞き返すと、伊藤先輩は自分の得た
webディレクターという仕事をちゃんと本業として暮らしていこう、と
決意していた事と、作品に対しては、誠実な観客で、読者で、
ファンで、受け手であればそれでいいと思っていた事、
それは本当に確からしい。

SFマガジンのおかげで伊藤さんの作品とであって、既になくなっていること知って、
「ご存命なら、新作を読むことも出来たのに。」
なんて思っていたのですが、
この冒頭の言葉、
伊藤さん元気だったら小説書いてない可能性があったと親しい方々が思うほど本業もしっかりされていたのですね。
「出来る人は出来る!」
ということでしょうか。

もう一箇所。

最終的に小松左京賞に落選したと聞いた時、漫研の皆でちょっとした飲み会を開いて
とにかく折角書いた文章が没になるのは勿体無い。webで無料公開するなり
同人誌で出すなりして少しでも多くの人に読んで貰おう、表紙挿絵装丁なら
みんなで全面的に協力するから、と提案してみたものの

「落ちたものは落ちたものです、やはり充分なレベルまで達していなかったという事でしょう。
とにかく頑張るならまた次作でということになります」
と、気の乗らないことを呟くばかりで、

この後、円城塔さんが励まして一緒に早川書房に原稿を送る事を提案してくれなければ、
自分は多分、作家としてデビューはしていなかっただろう、と先輩本人も
正直に認めている。

この落ちた作品が「虐殺器官」です。
篠房さんのブログ見つけて良かったです。
伊藤さんの新しい作品に出会うことはもうありませんが、
来年の封切りの「虐殺器官」と「ハーモニー」のアニメが良い作品に仕上がる事期待しています。






今日のおまけ。
円城さんも、
何処かの大学の飯が食えるポストについていれば、作家になっていなかったようなこと、何処かでご本人が話しているの読んだことあります。
円城さんも芥川賞受賞作読んだ時一度だけここに書いていますが、SF作品今回平行して読んだので次回書きます。