年始の思い出

以前京都で営業をしていた時に、
年始のご挨拶でお取引先を訪問した時の、
忘れられない思い出があります。


新年の挨拶です。
「こんにちは、本年もよろしくお願いいたします」
挨拶を取引先とします。
すると奥から、
お茶とお皿の上に懐紙を引いてその上に載せられた京菓子が出てきました。
そこで私ピンときました。
京都に大阪から転勤するときに大阪の取引先から言われた一言です。
「あんた、大阪だからええけど、京都行ったら何でも出されたもの食べたらあかんよ」
みたいなこと言われたのを思い出したのです。
そうか、これがあの時に言っていた事だな、
でもどうしたら良いのかわかりません。???です。
仕方が無いので、恥を忍んでご主人に聞きました。
「すいませんご主人、私ご存知のように関東の出身でして、今このお茶とお茶菓子どうしたら良いのかわかりません、どうしたら良いのか教えていただけませんでしょうか?」
するとご主人
「そうか、ま、そんなに気にすることは無いけどあんたが聞くから話すけど、お茶はここで飲んでかまわない、お茶菓子は、懐紙に包んで持って帰る。お客さんが持って帰らないときは、こちらで懐紙に包んで渡す。でも気にしなくてもいいよ、この前○○のセールスは食べて帰ったよ」
と教えていただきました。
○○のセールスさんしっかりチェックされてましたね。
でもそのお取引先、そんなに堅苦しいことも無く、
優しいご主人と、奥様・娘さんでやっていらしゃいました。
そういうおもてなしも、日常の生活の中に溶け込んでいらしゃるわけです。
おそらく、そういう作法日本中どこに行ってもあることだと思います。
でもそういった作法をきちんと今に伝えているかどうかなのでしょう。


こんなこともありました。
奥様が結婚式から帰ってきて、
「今日はビックリしたわ、結婚式場にみんなお祝い持ってきていたの」
みたいなこと話されるわけです。
私「結婚式でお祝い持っていくの普通じゃないですか?」
これも本当は、結婚式は当然、事前に呼ばれているわけですから、お祝いは事前に持っていくものだそうです。
近くに住んでいる場合は、確かにこれが礼儀なのだと思います。


礼儀・作法・文化・伝統みたいなものを守っていくこと大切ですね。
それを守らせることによって、既得権を持っている人たちの権利を守ることにつながって、時代が既得権の無い人たちに変わろうとする流れが滞ることは問題だと思いますけど。
それを引き継ぐ中で伝わっていく心はこれからも大切にして、
優しさと、労りを持ち続ける生活しやすい国であって欲しいと思います。