立場を超えて守るもの

昨日夜のTVで長崎市長銃撃されたの知りました。
今日の朝日・朝刊1面トップも当然このニュースです。
このニュース最初に見たとき、
「エッ本島さんまた撃たれたの」でした。
よく考えたらそんなわけないですね、
今回撃たれた伊藤さんは、
朝日・朝刊によると、

伊藤市長は自民党の市議、県議を経て95年4月「平和市長」として知られた本島等氏の5選を阻んで初当選した。

新聞には書いてありませんが、

伊藤市長は18日午前2時28分、大量出血のため搬送先の長崎大学付属病院で死亡した。

犯人は捕まっているようですが、動機が不明です。
1面、記事中に、

県警は背景や動機などを追及しているが、暴力団関係者によると、同容疑者は最近、自分が所属する暴力団と関係が深い土建業者が長崎市発注の公共工事から外されていると思い込んでいたという。周囲に「以前は仕事を回していたのに、あいつ(伊東市長)は最近、全く仕事を寄越さない。おれを相手にしていないということだ、ゆるさない」などとも話していたという。

とあります。
本島さんの場合は、天皇の戦争責任に対して言及したことに対する、思想的な反発による銃撃でしたが、
上記引用部分から考えると、今回は、経済的理由による犯行といえるのでしょうか?
長崎というと「平和」というイメージと結びつきますが、
各国で銃声が鳴り止まず、テロが持続している時代に、長崎の市長になるということは、
そういう流れに、対峙して反対していく使命があると思います。
そういう覚悟は必要でしょう、本島さんはそれで銃撃されたのですが、
今回は、財政立て直しのためにやった改革が原因での銃撃という方向に向かうのでしょうか?
どちらにしても、1度起きてしまうと、市長を撃つことを思いつきやすくなってしまっているのかもしれませんね。
良くない先例となってしまいました。
政治に武力はつき物ですが、
私たちの国は、その陰を排除できている国の1つだと思っています。
「政治に携わる人が安心して、思想や政策などについて討論しあえる場を、暴力に蹂躙されることなく維持していくこと」
この点だけは、立場が対立しあう同士であっても協力して守っていく必要がありますね。