鳩山発言

鳩山法相の発言関連の記事です。
今回は検証記事です。
昨日の読売・神奈川新聞の朝刊読みましたが、
この件に関しては当然どちらも書かれていませんでした。


過去に書いた内容のアドレス今回は省略します。
「なんやかんや」死刑で日記の検索すると沢山出てきます。


昨日の朝日朝刊手元の新聞で3面
|あしたを考える|
見出しです。

死刑存廃日本の道は

という特集記事です。
記事中に、東京拘置内の刑場のイラストと、
詳しい情報の記述ありました。
記事中に内閣府(旧総理府世論調査出ています。

死刑用容認派は99年で79%。04年は過去最高の81%に上った。

とあります。
そして鳩山さんへの朝日新聞のインタビュー出ています。

気になった部分引用します。

 −国際的には死刑制度や執行停止の流れが加速しています。
 十二分に承知している。だた私には死刑廃止論はドライに思えてならない。何人殺しても生きていられる制度はドライだなあと。死刑確定者の命以上に重要なことはいま無辜(むこ)の人が殺されていること。日本はウエットな「美と慈悲の文明」を持つ。命を奪えば死をもって償うべきだと解釈できる。死刑廃止を訴える団体がどう考えているか、聞いてみたい。

無辜 読めました?
私読めませんでした。
余り使わない表現ではないでしょうか?
意味は文章の前後関係から想像できますが、
「罪のないこと」だそうです。


ドライという言葉の使い方が気になります。
「何人殺しても生きていられる制度はドライだなあと。」
たとえば、
何人殺しても生きていられる制度は容認できない。
何人殺しても生きていられる制度は個人的に認めたくない。
と発言すべきではないでしょうか。
「容認できない。個人的に認めたくない。」
この発言巧みに避けていますね。
鳩山さん個人の感情を表現することになるからでしょうね。
そして出てきた言葉が
「ドライ」
言いたいことわからなくはないですが、
堂々としていない。
ずるい表現だと思います。


もう一つ
「慈悲」です。

日本はウエットな「美と慈悲の文明」を持つ。命を奪えば死をもって償うべきだと解釈できる。

と発言されています。
そう解釈できますか?
私は、「美」の方だったらまだ認めても良いですが、
慈悲にこの解釈は不適切だと思います。
慈悲を使うのであれば、
「命をたとえ奪ったものであっても、それを許しその後のその人の更生を助ける」
そんな心のことを「慈悲」と言うのだと思うのですが?
いかがなものでしょう?
鳩山さんが論じている。
「死をもって償うべきだ」
は、当事者が死ぬ気もないのに殺してしまう(要するに死刑ですね)ことですね。
本当はあまり書きたくないのですが、あえて書きますが、
「命を奪ったものが、その行為を苦にして自殺する」
この行為も慈悲とは言えませんが、まだ表現としては成立すると思います。
「命を奪ったものが、その行為を苦にして自殺するのをとめて更生の道に導く」
ここまでいって初めて「慈悲」という言葉の使用許可が下りるような気がします。


命を奪ってしまった事実があって、それを容認して、再発防止や、反省を促すために死刑を執行して、凶悪犯罪が減るとは思えません。
もちろん死刑制度既に廃止している国で、凶悪犯罪が減っているということも無いと思います。
かといって増えている訳でも無いと思います。
大切なのは、
命を奪ってしまった事実があって、その原因を究明して、その根本原因を解決していくことだと思います。
罪を犯した個人だけの問題ではすまない部分あると思います。
個人のせいにして、殺していくだけで良いのでしょうか?
私は死刑制度廃止を訴える団体ではありませんが、

死刑廃止を訴える団体がどう考えているか、聞いてみたい。

とのことなので、私見書いてみました。


この件に関連して、
普通の人たちの荒れている様子、
同じ昨日の朝日・朝刊、生活面(手元の新聞で20面)
キレる大人たち 上
という特集記事ありました。下もあるのでしょうね。
見出しだけ紹介しときます。

不満はけ口他者に


「殺してやる」・・・駅長の顔に拳


怒り爆発公共の場まで


30代・50代の暴行5倍に

記事に詳しい事例出ていますが、
普通の人がキレる今という時代の怖さ感じませんか?
こういうことの解決方法を探していかないと、
死刑制度を存続させて、死刑の執行を繰り返しても、
凶悪犯罪は減らないと思うんだけどな。