核密約文書が現存

今日のタイトル、今日の朝日・1面トップ見出しです。
朝日さん、核密約問題、他紙に比べると取材に力を入れている感じがするのです。
で、「オッスクープか!」って思ったのですが、違いました。
今日の「あらたにす」確認したら、各社トップではないようですが、1面で取り扱っているようです。
いい機会なので、各社この記事どのように扱ったのか、全文引用しますね。
まず朝日。
http://www.asahi.com/politics/update/1222/TKY200912220513.html?ref=any
http://www.asahi.com/politics/update/1222/TKY200912220513.html?ref=any

核密約文書現存、佐藤元首相宅に保管 日米首脳の署名(1/2ページ)2009年12月23日3時2分


 日米の両首脳が1969年に沖縄返還を合意した際、有事における沖縄への核兵器の再持ち込みについて取り決めたとされる秘密の合意文書が、当時の首相、故・佐藤栄作氏の遺品の中に残されていたことが分かった。佐藤氏の次男で元通産相の信二氏(77)が明らかにした。この密約については、佐藤氏の「密使」として水面下で米側と接触した故・若泉敬氏=元京都産業大教授=が著作で存在を明らかにしているが、文書の現物は見つかっていなかった。外務省が進める「密約」調査の有識者委員会も強い関心を示している。

 信二氏が保管していた文書は「1969年11月21日発表のニクソン米大統領と日本の佐藤首相による共同声明に関する合意議事録」と表題があり、69年11月19日付。「重大な緊急事態」に際し、米政府は「日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと沖縄を通過させる権利を必要とするであろう」とあり、日本政府は「米国政府としての諸要件を理解し、そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たすであろう」と記されている。文書の取り扱いについては「最高級の機密のうちに取り扱うべきであるということで合意した」と記し、当時のニクソン大統領と佐藤氏の署名がある。

 沖縄への「核再持ち込み」を米側に保証する秘密合意は、69年11月にホワイトハウスで日米両首脳が交わしたとされる。94年刊行の若泉氏の著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」によると、若泉氏は佐藤首相の密使として、沖縄返還に際して米軍の核兵器を撤去することなどを求め、キッシンジャー大統領補佐官と秘密裏に交渉に当たった。

2ページ目

核密約文書現存、佐藤元首相宅に保管 日米首脳の署名(2/2ページ)2009年12月23日3時2分


 日本側は「核抜き本土並み」返還を求めたが、米側は緊急事態の際の再持ち込みを要請し、文書による合意を求めた。そこで若泉氏はキッシンジャー氏と「合意議事録」を作成。首脳会談の際に、両首脳がホワイトハウスの執務室に隣接する「小部屋」で署名を交わしたという。

 当時、佐藤氏は若泉氏の申し入れに難色を示したものの、最終的には秘密合意に同意。文書について佐藤氏は若泉氏に「破ったっていいんだ」と語っていたと同書に記されている。また、予定では頭文字での署名のはずだったが、佐藤氏は大統領がフルネームで署名したため自分もそうしたと若泉氏に語ったという。

 信二氏によると、「議事録」は佐藤氏が75年に死去したあと、机の中から見つかった。首相退任後に自宅に持ち帰った執務机という。

 外務省の密約調査では、この合意議事録が同省保管ファイルにはなかったことが関係者の話で判明している。この文書は米側でも公開されておらず、調査の検証を進める有識者委員会の委員らは強い関心を寄せている。今後、必要と判断すれば、佐藤氏の遺族と連絡をとる方針だ。

 委員の一人は「若泉氏の著書の記述から、署名文書は破られたものと思っていた。外務省も関知していないとの態度だった。この目で現物を見て委員会で議論したい」と話している。(川端俊一、倉重奈苗)

    ◇

 〈日米間の「密約」〉 (1)核持ち込み時の事前協議の対象から艦船の寄港などを外す核密約(2)朝鮮半島有事の際に米軍が在日米軍基地を出撃拠点として使うことを認めたもの(3)有事の際の沖縄への核の再持ち込みに関するもの(4)米側が負担すべき原状回復費400万ドルを日本側が肩代わりするなどの財政取り決め、の4密約の存在がこれまでに指摘されている。

朝日は、他に3面の社説の横全部使って、佐藤信二さんへのインタビューと、公開された文書の原文と訳文、さらに3名の識者の方のコメント載せています。




日経です。
経済、株価、ビジネス、政治のニュース:日経電子版
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20091223AT3S2203F22122009.html

核密約文書が存在 佐藤元首相遺族が保管
 沖縄返還交渉で当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が交わしたとされる有事の際の核の再持ち込みに関する密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。この遺族によると、佐藤元首相の1975年の死去後に自宅の遺品の中から同文書を発見。その際、文書の保管を非公式に外務省側に打診したが、受け取りを拒否されたため、自ら保管していたという。

 文書を保管していた遺族は元首相の次男の佐藤信二通産相。同氏によると文書は実物で、佐藤元首相とニクソン大統領のフルネームの署名が入っており、日付は69年11月19日付。「重大な緊急事態が生じた際には、米政府は日本国政府事前協議を行ったうえで、核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、および沖縄を通過する権利が認められることを必要とする」とし、日本政府は「遅滞なくそれらの必要を満たす」と明記しているという。(07:00)

朝日に比べると記事の量が少ないですね。
ただ、日経の記者さん、遺族への取材で、

この遺族によると、佐藤元首相の1975年の死去後に自宅の遺品の中から同文書を発見。その際、文書の保管を非公式に外務省側に打診したが、受け取りを拒否されたため、自ら保管していたという。

この、外務省の受け取り拒否という事実を、公にしました。
すごい!
外務省は、この文書が省内にあることを拒否した。
もみ消しの意思を強く感じますね。


読売です。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091223-OYT1T00145.htm?from=any
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091223-OYT1T00145.htm?from=any

核密約公表「真実残すことが大事」…佐藤元通産相
 沖縄返還交渉をめぐる有事の際の核持ち込みに関する日米間の「密約」文書は、佐藤栄作首相(当時)の次男で元通産相佐藤信二氏(77)が30年来悩んで保管してきたものだった。

 公表に踏み切った背景には、政権交代によって、民主党が密約の存在の検証に本格的に動き始めたことがあった。

 信二氏によると、1975年に佐藤元首相が死去して、親しかった新聞記者の一人に「形見分け」として元首相が生前、愛用していた机を譲ることになり、中身を整理するため引き出しを開けたところ出てきた。机は私邸(東京・代沢)の書斎にあった。発見時、信二氏は参院議員になったばかり。元首相は密約の存在を明かしていなかったが、引き出しから出てきた文書の持つ意味は政治家として十分理解した。

 その後、80年代に入り、佐藤家に一人の学者が訪ねてきた。返還交渉で元首相の密使を務めたとされる若泉敬京都産業大教授だった。若泉氏は「奥様(元首相の寛子夫人)に会いに来た。元首相の日記を見せてほしい。公開されると大変なことになる」と切り出したため、佐藤家は日記を見せることにしたという。

 日記には、若泉氏の名前が所々出てくるものの、密約を巡る若泉氏との具体的なやりとりの記述はなかった。若泉氏はその後、94年になって返還交渉の舞台裏を描いた「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋)を著し、密約の存在を明らかにした。

 密約をめぐる政治的な重みを認識していた信二氏は、本来、その時に文書の存在を明らかにすべきだと思ったはずだ。しかし、公表は思いとどまった。外務省が密約の存在を一貫して否定していたからだ。元首相が「非核三原則」でノーベル平和賞(74年)を受賞したという事実も信二氏をためらわせたようだ。

 佐藤氏が今回、文書をあえて公表したのは、ここ数年、外務省の元局長らが相次いで日米間の核密約の存在を明らかにしたことが大きい。民主党政権の発足も決断を後押しした。

 文書の公表を決断したことについて、佐藤氏はこう語った。

 「文書にはすでに政治的な意味はなく、公表によって現在の日米安保体制が大きな影響を受けることはないと思う。おやじがどう考えたかわからないが、歴史に真実を残すことが大事だと思う」

(2009年12月23日03時00分 読売新聞)

特に記者さんが、捜したとか言うわけではないのですね。

公表に踏み切った背景には

佐藤家の方で、
「こんなのが家にありますよ」
っ報道関係者に伝えて、それを取材したわけです。
スクープでもなんでもないのですね。


乗って来たので、この際産経も調べました。
公表に踏み切ったという事なので、各社当然書いていそうですね。
ありました、1面かどうかはわかりませんが、引用します。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091223/plc0912230123001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091223/plc0912230123001-n1.htm

沖縄核密約文書が存在 佐藤元首相の遺族が保管
2009.12.23 01:22
 沖縄返還交渉中の昭和44年、当時の佐藤栄作首相がニクソン米大統領と交わした有事の際の沖縄への核持ち込みに関する密約文書を佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、判明した。佐藤氏の次男、佐藤信二元運輸相が明らかにした。

 信二氏によると、文書は同年11月の日米首脳会談で極秘で交わされた「合意議事録」。沖縄返還にあたっては核兵器撤去と日米安全保障条約の適用を意味する「核抜き・本土並み」が条件とされていたが議事録では、日本や極東の有事の際には米側は「日本と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に再び持ち込むことと、沖縄を通過する権利が認められることが必要だ」と要請。日本側は「事前協議が行われた場合、遅滞なくこれらの必要を満たす」と応じた上で「ホワイトハウス首相官邸のみで保管し、最大の注意をはらい極秘に取り扱う」と確認している。

あら、産経さんモット意見を書いていそうなのですが、かなりおとなしいですね。
新聞見ると、モット書いているのかもしれませんね。


この際、毎日も。
http://mainichi.jp/photo/news/20091223k0000m010093000c.html
http://mainichi.jp/photo/news/20091223k0000m010093000c.html

核密約文書:佐藤元首相の遺族が保管 日米首脳署名

 沖縄返還(1972年)の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が69年11月に署名した、沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。草案などで密約の内容はすでに分かっていたが、両首脳の署名がある実物の存在が明らかになったのは初めて。

 密約は69年11月にワシントンで行われた日米首脳会談の際、両首脳がひそかに署名した「合意議事録」。返還交渉で佐藤氏の密使を務めた若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に著書でその草案の写真とともに明らかにした。今回の文書は文末にフルネームで署名があり、2通作成され、日米首脳がそれぞれ保管するとした本文の日本保管分とみられる。若泉氏は著書で「イニシャル署名する予定だったが、フルネームで署名したと佐藤首相から知らされた」と記述しており、符合する。

 この密約は現在、岡田克也外相が進めている密約調査でも対象になっており、調査では「外務省には保管されていない」という結論になっている。密約をめぐるやりとりは外務当局とは別に若泉氏の「密使」ルートで行われたため、外務省には保存されていないとみられる。しかし、両首脳の署名が残っており、米側は有効な公文書と見なしている可能性が高い。

 佐藤氏の次男の佐藤信二通産相によると、元首相から引き継ぎなどはなく、75年の元首相の死去後に、元首相が使用していた書斎机を整理した際に見つかった。机は首相在任時に首相公邸で使っていて、その後、東京・代沢の自宅に運ばれたもので、元首相が文書を保管してそのままになっていたとみられる。

 佐藤元通産相によると、文書を発見した際に、密約が結ばれた69年当時駐米大使だった下田武三氏(故人)ら複数の外務省OBに「(外務省の)外交史料館で保管したい」と相談したが「公文書ではなく、私文書にあたる」と指摘されたという。佐藤元通産相は「資料として保管してほしいと思ったが、二元外交を否定しているのだと感じた」と話している。【中澤雄大

 【ことば】沖縄核持ち込み密約

 1969年11月にワシントンで行われた日米首脳会談時に、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した。首脳会談では沖縄の「核抜き本土並み」の返還が合意されたが、同時に密約で有事の際の沖縄への核兵器の再持ち込みを認めた。密約では、米国が核兵器を持ち込む事前協議を日本政府に申し入れた場合、「(日本が)遅滞なく必要を満たす」と明記しており、核持ち込みの事前協議の意味を事実上空洞化する内容となっている。若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に出版された著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で文書草案の写真と共に内容や経緯を明らかにした。

この文書の外務省での扱い、経緯が詳しく書かれていますね。

 佐藤元通産相によると、文書を発見した際に、密約が結ばれた69年当時駐米大使だった下田武三氏(故人)ら複数の外務省OBに「(外務省の)外交史料館で保管したい」と相談したが「公文書ではなく、私文書にあたる」と指摘されたという。佐藤元通産相は「資料として保管してほしいと思ったが、二元外交を否定しているのだと感じた」と話している。

政治家(佐藤元通産相)から、外務省に相談してこの態度。
ワァーすごい。
佐藤・ニクソン両首脳の署名がある文書を、「公文書ではなく、私文書にあたる」ですもの。
この外務省の態度、ネット上で公開されている文書を見る限り、毎日が一番良くわかりますね。
この密約を最初に公開した新聞社ですね、毎日。
そう西山さんのいた、新聞社です。
経営が厳しくなった一因にこの件も含まれているようです。
共同通信から記事を配信してもらうほど、経営が厳しい毎日ですが、応援したくなります。


久々に、5社比べてみました。
今回産経さんおとなしかったですね、
ただ、引用はしませんが、
12月7日のこんな記事見つけました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091207/plc0912070743001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091207/plc0912070743001-n1.htm
自社の主張はしますが、各社の社説を比較するのは、多面的に物事が見られて、私とっても良いと思います。
いつもの私の主張、
「世の中、いろんな人がいて、いろんな意見があった方が良い。」
みんなが同じ方向、向いたとき(向かされたとき)これが一番恐いです。


今日は祝日ですが、昨日の仕事が終わらなくて、今からチョット行ってきます。
日曜祭日で仕事するの今年初かも?
すみません。いつも仕事の忙しい方。