文書が無いから無罪って?

今日から10月。
ですが、昨日の朝日・朝刊1面。
沖縄密約の裁判に関する記事出ていました。
asahi.comから関連記事全文引用します。
http://www.asahi.com/national/update/0929/TKY201109290219.html
http://www.asahi.com/national/update/0929/TKY201109290219.html

沖縄密約訴訟、原告側が逆転敗訴 東京高裁判決
 1972年の沖縄返還の際に日米政府が交わした「密約」をめぐる情報公開訴訟の控訴審で、東京高裁(青柳馨(かおる)裁判長)は29日、国に文書開示を命じた一審・東京地裁判決を取り消し、原告側の訴えを退ける逆転判決を言い渡した。

 「探したが文書はなかった」とする国の調査結果を受けて結論を覆したが、一審に続いて密約文書が存在したことを明確に認定。密約を隠すために国が文書を意図的に廃棄した可能性を指摘するなど、国の姿勢を批判した。

 訴えていたのは、米国側の密約文書を発見した琉球大学我部政明教授やノンフィクション作家の澤地久枝さん、元毎日新聞記者の西山太吉さんら25人。昨年4月の一審判決は国に開示を命じたうえ、原告1人あたり10万円の国家賠償も命じていた。

 国は控訴審で「文書は見つからなかった」とする外務省と財務省の調査結果を新たに証拠として提出。これらをどう評価するかが控訴審の焦点だった。

 判決で青柳裁判長は、国が沖縄返還交渉の結果として、かつては密約文書を保有していたことを認めた。密約が成立した理由として「日本政府は『米国から沖縄を金で買い戻す』という印象を持たれたくないと考えていた」とも述べた。

 その上で、両省が政権交代後の2009年秋以降に実施した調査の信用性を検討。膨大な数のファイルを調べ、事務次官や局長経験者からも聞き取りをしていたことから「網羅的で徹底した調査で、信用性は高い」と評価し、文書はないとする国の主張を認めた。

 また両省での文書の取り扱いについて「通常とは異なる場所に、限られた職員しか知らない方法で保管された可能性が高い」と指摘。政府側に密約を裏付ける文書を隠す意図があったとして、「それまでの説明が事実でなかったことが明らかにならないよう、(2001年の)情報公開法施行前に秘密裏に廃棄した可能性を否定できない」と国側が意図的に捨てた可能性に言及した。

これ何とか有罪に出来ないものでしょうかね?
「秘密裏に沖縄密約の文書、外務省廃棄したでしょう、でも現在無いって事は事実として信用してあげる。だから無罪。」
こう言っているように聞こえます。
asahi.comの朝日の記事、デジタル版が出てからとっても不親切
この先はデジタル版で読んでね。
って事になっています。
asahi.comから時事通信配信の記事も引用します。
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201109290060.html
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201109290060.html

「秘密裏に廃棄の可能性」=沖縄密約文書、二審は開示認めず―元新聞記者ら逆転敗訴2011年9月29日15時6分


 1972年の沖縄返還に伴う日本の財政負担をめぐり、元新聞記者らが国を相手に、日米両政府間で交わされた密約文書の開示などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(青柳馨裁判長)は29日、国が過去に密約文書を保有していたと認定し、「秘密裏に廃棄された可能性を否定できない」との判断を示した。密約文書について、故意に廃棄された疑いを指摘する司法判断は初めて。

 その上で、廃棄の可能性がある以上、不開示決定時に国が文書を保有していたとは認められないとして、全文書の開示と請求全額の慰謝料支払いを命じた一審東京地裁判決を取り消し、請求を退けた。

 昨年4月の一審判決は、文書を密約を示すものと認定した上で、「存在しない」とする国側の主張を「十分に探索したとは言えない」と退けていた。控訴審で国側は、十分に探しても文書が見つからなかった証拠として、外務、財務両省が一審の結審後に公表した密約問題の調査結果を新たに提出した。

 判決で青柳裁判長は、両省の調査を「網羅的で徹底していた」と評価。それでも発見されなかったことから、「文書を秘匿する意図が強く、通常とは異なる場所に、限られた職員しか知らない方法で保管された可能性が高い」と指摘した。

 さらに「(2001年の)情報公開法施行により密約が明るみに出ることを防ぐため、両省が秘密裏に文書を廃棄したか、保管外に置いた可能性がある」と判断した。

 元毎日新聞記者の西山太吉氏らが、軍用地の原状回復費の肩代わりなどを合意した3通の文書などの開示を両省に請求したが、不開示とされたため、2009年3月に提訴していた。

 外務省北米1課の話 これまでの政府の主張が認められたものと考えている。 


時事通信社

指摘内容は進歩しても、裁判に負けたら何にもならないですね。
外務省北米1課の話なんて、
「指摘どうあれ、裁判勝ったからいいじゃん」
そんな感じ。
これが認められると、どんな事をしても、文書故意に破棄して、証拠を無くせば無罪。
そんなことになりそうで良くない。
起訴内容が、文書が見つからないと有罪に出来ないような内容なら仕方ないけど、
でも、これで最高裁まで争って意味が無いのなら、
国家が勝手に文書を破棄してしまう事を問題に裁判しても良いかもです。
国家の犯罪は認めたらいけません。
でも西山さんももうお年、
国家に嵌められた、感じの人生残念だと思います。
国として、西山さんにお詫びするべきだと思います。
この問題、かなり書いていますね。
興味のある方、
左側にある「日記の検索」で『西山太吉』と入力してみてください。
私の意見も書かれていますが、この事件の詳細が、引用も沢山してあるので時代を遡って理解できると思います。


別件ですが裁判ねたもう1つ。
小沢さんの秘書3名の裁判ありました。
検察側の思ったような判決出ていました。
私、小沢さん擁護するつもりは全く無いのですが、
事実認定が曖昧な感じで、有罪にしていいものか疑問持ちました。
小沢関連裁判だから、良いと言う気持ちもあるのですが。
asahi.com(朝日新聞社):「あんな判決はあり得ない」小沢一郎・民主党元代表 - プレーバック1週間ことば
http://www.asahi.com/special/playback/kotoba/TKY201109300423.html

「検察でも認定できないものを(認めるなんて)、あんな判決はあり得ない」 元秘書3人が有罪判決を受けたことについて、民主党小沢一郎元代表

と言っているそうですが、世論が、検察に味方して裁判に影響が出ている気がします。
公平・公正・中立
判決はこうあって欲しい。
他の裁判もこんな感じになるのなら、判決に至る過程が心配です。
この件、感心したのが江川さん。
朝日のコメントでも批判されていました。

江川さん、ご本人のブログでこの内容発見したので、リンクと引用しておきます。
Egawa Shoko Journal: 9.26陸山会事件の判決を聞いて
http://www.egawashoko.com/c006/000331.html

9.26陸山会事件の判決を聞いて

2011年09月28日


 裁判所の大胆で強気な判断の連続に、判決を聞いていて驚きを禁じ得なかった。

 実際に報告書を作成した石川知裕、池田光智両被告は有罪とされることは十分ありうる、と思っていた。この事件は、お金の出入りについて、政治資金収支報告書に記載すべきかどうか、いつ記載すべきかが、本来は最大の争点だった。なので、実際に支出があった年に報告しなかったり、小沢一郎氏の他の政治団体など身内間の金の融通についても逐一報告しなければ違法、と判断すれば、有罪になる。

 なので、主文言い渡しの際、2人が有罪となったことについては(求刑通りという厳しさには「おっ」と思ったが)、特に驚いたわけではない。驚いたのは、判決理由と、陸山会事件で大久保隆規被告も有罪とした点だった。  

 東京地裁は、6月に証拠採否の決定で、検察側主張を支える供述調書の多くを退けた。自ら証拠を排除しておいて、判決ではそれを「当然…したはずである」「…と推認できる」など、推測や価値観で補い、次々に検察側の主張を認めていった。しかも、その論理展開は大胆に飛躍する。

 たとえば、大久保被告の関与。同被告が政治資金報告書の作成に関与していないことは争いがない。しかも、石川、池田両被告が「報告書原案を大久保被告に見せて了承を得た」とする検察側主張を、裁判所は判決で退けている。

 にも関わらず、石川被告から土地の登記の日をずらすよう不動産会社と交渉して欲しいと頼まれたことで、小沢氏が建て替えた4億円を隠蔽することについてまで、大久保・石川両被告人は「意思を通じ合った」と決めつけた。さらに、それから半年後の報告書に虚偽を記載する共謀までできあがったと認定。そのうえ、石川被告から後任の池田被告に事務に関する引き継ぎをもって、「石川を通じて池田とも意思を通じ合った」と断定した。そんな証拠はどこにあるのだろうか。

 法廷で明らかになったことは全く逆の事実だった。石川被告が自身の選挙の準備で忙しく、丁寧な引き継ぎを行わなかったうえ、この2人の関係は疎遠だった。池田被告は厳しい石川被告を恐れ、満足に問い合わせもできずにいた。そのため、報告書に記載された金についての認識も、両者で食い違う。

 にも関わらず、石川被告を媒介に大久保被告と結びつけられたうえ、判決でいきなり「大久保に報告するのが自然である」と認定された池田被告は、よほど驚いたのか、目をぱちくりさせていた。

 いくら「名ばかり」といえども、会計責任者になっている以上、石川、池田両被告人の行為が違法と判断されれば、大久保被告の道義的、あるいは政治的な責任が問われるのは当然だろう。しかし、だからといって刑事裁判において、裁判官の価値観と推測によって、かくも安易に共謀を認定し、刑事責任を負わせるというのは、あまりに荒っぽく、危険に思えてならない。

 犯罪の実行に直接関与せず、それについての相談にも乗らず、謀議もなく、事後にも何の報告も受けず、犯罪の存在すら知らずにいても、共謀が成立して有罪となるのでは、企業などでは部下の犯罪は知らずにいても上司の罪となりうる。これでは、郵便不正事件で、係長が行った公的文書の偽造を上司の村木厚子さん(当時課長)は知らないはずがない…という思い込みから出発した(と考えられる)大阪地検特捜部の発想や判断と同じではないのか。

 水谷建設から石川被告への5000万円の授受も、目撃者も裏付け証拠もないまま、同社関係者の証言だけで、「あった」と断定した。これなら、複数の仲間が一定の意図の下に「金を渡した」というストーリーに基づいて話を合わせれば、それが事実ということになり、いくらでも事件が作れてしまう。石川被告に5000万円を「渡した」とする証人は1人だけで、しかも、その証言に疑問を投げかける別の証人も2人いた。にも関わらず、「渡した」と決めつけるのは、被害者の訴えだけで逮捕されたり有罪判決を受けたりする痴漢冤罪事件と同じ構図に見えてならない。

 冤罪を防ぐために、昨今は痴漢事件でも、手に付着した下着の繊維片などの裏付け証拠が重視されるようになってきた。今回の判決は、こうした証拠重視の時代の流れに逆行していると言わざるをえない。

 もう1つ気になったのは、裁判所が、肝心の政治資金収支報告書の記載について淡々と証拠と法律に基づいて判断するのではなく、「政治とカネ」問題を断罪することに並々ならぬ熱意を注いでいたことだ。

 そもそも本件、つまり政治資金の虚偽記載に関して、水谷建設からのヤミ献金の有無は直接関係がない。なぜなら、検察側の主張するヤミ献金の受け渡しは、土地購入のために小沢氏が4億円を立て替えた後の出来事で、この4億円に問題とされた水谷マネーは入りようがないからだ。なので、小沢氏を起訴した検察官役の指定弁護士は、この問題を争点から外している。

 ところが、秘書3人の事件では、検察側は「動機もしくは背景事情」として、このヤミ献金疑惑の立証にもっとも力を入れた。そして、裁判所もそれを許した。裁判を傍聴していても、これはいったい何の事件だったのか、ヤミ献金事件、もしくは収賄事件の裁判ではないかと錯覚しそうになったほどだ。

 そして迎えた判決も、この点に多くが割かれ、読み上げる登石郁朗裁判長の声にももっとも熱が込められていた。やはり、これは収賄事件の判決ではないかと思うほどであった。そして、すでに閉廷予定時刻の5時が迫っているのに、量刑の理由を読み上げる前に、わざわざ10分間の休廷をはさみ、一気呵成に「小沢事務所と企業の癒着」を論難した。

 その口調からは、裁判所が「政治とカネ」の問題を成敗してやる、という、ある種の「正義感」がびんびんと伝わってきた。そこに、我々が社会の不正を正してやる、という特捜検察の「正義感」と相通じるものを感じて、私は強い違和感を覚えた。この種の「正義感」は「独善」につながることを、一連の特捜検察の問題がよく示しているのではなかったか。

 証拠改ざん・隠蔽事件で大阪地検特捜部の検事三人が逮捕されて一年。検察の独自捜査の問題点が少しずつあぶり出され、検察自身も改革を進めつつある。せっかく取り調べの可視化や客観証拠を重視することで冤罪をなくしていこうという機運が高まってきたのに、こういう判決は「マスコミを活用した雰囲気作りさえできていれば、薄っぺらな状況証拠しかなくても、特捜部の捜査は有罪認定する」という誤ったメッセージにならないかと危惧する。

 刑事司法の問題はすなわち裁判所の問題だ。検察が無理をしても調書を作るのは、裁判所がそれを安易に採用し、信用するからだ。しかし、郵便不正事件以降、裁判所も検察を過信するのを控えるようになってきたのではないか、という期待もあった。ところが、それはあまりに甘い見方だったようだ。

 今、もっとも改革が必要なのは、裁判所かもしれない。

(9月27日の朝刊に掲載された共同通信配信の原稿に、大幅加筆しました)

江川さんの視点すばらしい。
小沢さん、有罪に向けての動きはかまわないけど、裁判所も検察も問題ありますね。


沖縄密約判決は、無罪っていうことに疑問があった。
陸山会事件の判決は、有罪にいたる過程に、そんなんで良いの?って思いました。