開かれた省庁へ

桜・桜で、遅くなりました。
昨日は1日雨、桜もだいぶ散ったでしょうね。
次は6月の紫陽花でしょうか。
アジサイその通りって感じの漢字当てはめていますね。


本題です。
10日の朝日・朝刊1面トップ。
東京地裁沖縄返還密約文書に対する開示命令出たこと書かれていました。
11日に古新聞、回収で出してしまって、手元に新聞が無いので、
asahi.comから、引用します。
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY201004090327.html?ref=any
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY201004090327.html?ref=any

沖縄返還文書 日米密約の存在認め開示命令 東京地裁

2010年4月9日21時27分

 1972年の沖縄返還の際に日米両政府が交わしたとされる「密約文書」をめぐる情報公開訴訟で、東京地裁は9日、密約の存在を認めたうえで、国が文書の不存在を理由に開示しなかった処分を取り消し、開示を命じる判決を言い渡した。原告1人当たり10万円の国家賠償も命じた。杉原則彦裁判長は、文書を破棄したことの立証を国に求め、「国民の知る権利をないがしろにする国の対応は不誠実だ」と述べた。

 問題となったのは、沖縄返還にからみ、日米の高官が合意して(1)米軍基地の移転費用などを日本側が財政負担する(2)米軍用地の原状回復費400万ドルと沖縄にあったラジオ放送「アメリカの声(VOA)」の国外移転費用1600万ドルを、それぞれ日本側が肩代わりする――ことを示す一連の密約文書(7種類)。元毎日新聞記者の西山太吉さん(78)らが08年9月に情報公開請求したのに対して、外務省と財務省は「存在しない」ことを理由に開示しなかったため、09年3月に西山さんら25人が提訴していた。

 判決は、密約文書に「署名した」とする吉野文六・元外務省アメリカ局長の法廷証言や、米公文書館で開示された文書などを根拠に、日米両政府間の密約と、これを裏付ける一連の文書があったと認定。「沖縄返還交渉における難局を打開した経緯を示す外交文書として、第一級の歴史的価値があり、極めて重要性が高い文書だ」と評価した。

 そして「機械的または事務的方法では見つからず、歴代の事務次官ら文書に関与した可能性のある者への調査が重要」と指摘。密約に関する外務省有識者委員会の調査より前の、同省の調査を基に「探したがなかった」とした国の主張については「十分な探索を行ったとは言えない」と批判した。文書が破棄されていたとしたら「相当高位の立場の者が関与したと解するほかない」と、組織的な廃棄の疑いにも言及した。

 判決は今回の訴訟の意義についても言及。原告らが求めていたのは「密約の存在を否定し続けた国の姿勢の変更であり、民主主義国家における国民の知る権利の実現だった」と指摘。そのうえで、密約文書の存在を否定し続けた国の姿勢について「通常求められる作業をしないまま不開示にされ、原告らが感じた失意、落胆、怒りの激しさは想像に難くない」と非難し、慰謝料の支払いも認めた。

 この裁判では、情報公開制度で文書がないことを理由に開示されなかった文書が、本当に存在しないのかについて、原告側がどこまで立証責任を負うかも争点になった。判決は「原告側が過去のある時点に文書が作成されたことを示せば、文書が破棄されたことなどを被告側が立証しない限り、その後も保管された状態が続いていると推認できる」との判断を示した。

 有識者委員会は3月に米側の文書などから「広義の密約はあった」とする報告書をまとめたが、今回の裁判の結審後で、証拠としては提出されていない。(浦野直樹)

この判決に対して、今の外務大臣の岡田さんの発言も記事になっていました。
私、この記事の方が気になりました。
asahi.comで発見できたので引用します。
asahi.com(朝日新聞社):沖縄密約訴訟 岡田外相「納得できない」、控訴も視野 - 特集 核密約文書
http://www.asahi.com/special/kakumitsuyaku/TKY201004090354.html

沖縄密約訴訟 岡田外相「納得できない」、控訴も視野

2010年4月9日22時17 分


 岡田克也外相は9日の記者会見で、判決に対し「控訴する可能性がある」と明言。先に外務省が公表した日米密約調査に触れたうえで「(判決は)徹底的に調査を行ったことが十分反映されていないのではないか」などと述べた。控訴すれば、密約調査の結果を主張する考えだ。

 岡田氏は判決で開示を命じられた文書について「外務省にそういうものはないということは調査の結果、明確。それ以外の答えはない」などと繰り返した。

 判決が歴代幹部や担当者ら、文書にかかわった関係者に逐一聞き取り調査することが重要と指摘したことについては、「現実的に可能なことを言っているのかどうか。ずいぶん昔の話だ」と疑問を呈した。

 ただ、1月に予定していた密約調査の結果公表が3月にずれ込み、外務省は訴訟で調査結果を説明しなかった。岡田氏は「主張をしなかった方も問題がある」と、同省側の不手際を認めた。

記事の最後に、外務省の不手際を認めているものの、
岡田さん、すっかり外務省側の人間になっている感じを受ける発言です。
民主党は、官僚主導から国民主体へ、国民の代表である政治家が介入して行政を移行させることを考えていたはず。
岡田さん、外務省で徹底調査を命じてそれでも出てこない。
その現場に立ち会ったのかどうかは解りませんが、外務省の官僚さんたちの、
「徹底調査しましたが、沖縄密約の文書省内にはありません」
と言うような発言を信じて、応援する気分になったのでしょうか?
自民党政権だったら、今の状況にはならなかったのではないか?と推測します。
政権が変わったのです。
次の参院選挙も考えるのなら、「無いものは無い」などとくだらないことを言っていないで、
外務省に無ければ、外務省以外も探すべきです。
どうして無いのか?
最初から無いということは考えられないので、何時から無いのか?
文章が出てくるのがベストですが、無くなった経緯を明らかにすることも国民への情報開示ということでとても意味も意義もあることだと思います。
一般の外務省職員が勝手に破棄することは考えられないので、(そんなことがあったら、それはそれで問題ですが)その命令が何処から、どういった理由と経路で出てきたのか、明らかにすることは大切だと思います。
ウヤムヤとか、暗黙の了解とか、もうやめていかないといけないのではないだろうか?
そう思います。
ここで、情報開示がキチットできないと、今後どのような新政党が政権を取ろうと、
この国の情報公開は進まないと思います。
官僚さんたちに丸め込まれてしまうということです。


官僚さんたち責められてばかりで可哀相な気がします。
優秀な人材が国家に行かないというのも困ります。
庶民からしたら、高い給料は許せないかもしれませんが、
あまり安いとやる気が出ないし、余計な事を考えてしまいますね。
自分たちの保身のために、国のお金を上手にプールしたり、各種団体や、天下り先作ったり、不要な公共事業を行ったり、とかね、
そういうお金の方が無駄な気がします。
優秀な方には、民間と比べてもそれなりのお給料を出すことは問題ないと思います。
そういった、国のお金の流れも開かれていくべきでしょう。
各省庁内部でも、組織の閉鎖性を感じている官僚さんたち沢山いると思います。
そういう方たちの力も借りて、外務省だけでなく、全ての省庁が、もっと主権者である国民に対して開かれた組織になるために、沖縄変換密約の開示命令が、大きく一歩踏み出すきっかけになって欲しいと願います。



この日、社説も、この件について書かれていました。
引用します。
http://www.asahi.com/paper/editorial20100410.html
http://www.asahi.com/paper/editorial20100410.html

縄密約判決―背信繰り返させぬために

 沖縄現代史の研究者や毎日新聞の元記者らが沖縄密約をめぐる文書の公開を求めた裁判で、東京地裁は全面開示を命じる判決を言い渡した。

 国は「文書を保有していないので公開できない」と主張した。これに対して判決は「文書があるかどうか十分に探したとは評価できない」と述べ、国の態度を「知る権利をないがしろにし不誠実」と強い言葉で非難した。

 「文書がない」として公開に応じないケースは少なからずあるが、判決は、一定の条件がある場合は「ないことの証明」を行政側がしなければならないと指摘した。今後の情報公開の武器ともなる貴重な判断だ。

 政権交代後、政府は広範な調査をしたが、問題の文書は見つからなかった。裁判の進行の都合でその事実は判決に反映されていない。

 判決は文書について「第一級の歴史的価値があり、領土問題を抱える日本の外交交渉にいかすことができる」などと評価した。外交機密を盾に真実を隠し続けてきた歴代政府の行為が、国民と歴史に対する背信以外の何物でもないことを改めて銘記したい。

 あるはずの文書がない。適切に管理されていない。年金記録の紛失や肝炎患者リストの放置など、幾度も繰り返された問題だ。役所の立場を守るために廃棄した疑いのある例すらある。そんな政府をだれが信用するだろう。

 その反省のうえに昨年6月、公文書管理法が成立した。作成・保存・移管・利用それぞれの局面で共通ルールを定め、順守状況を定期的にチェックし改善する仕組みを導入した。歴史的に重要な文書はすべて国立公文書館などに移すことも盛り込まれた。

 ただ肝心なのはそれを使う人間の姿勢だ。文書の量は膨大で、チェックにも限界がある。公務に携わる一人ひとりが「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」との認識と緊張感をもつ必要がある。

 意識改革が求められるのは政治家も同様である。民主党はかつて文書管理の重要性を指摘していた。だが政権の座についた後は、政務三役会議の議事録をはじめ、政権の意思決定の過程を検証できる記録の作成や公開に後ろ向き、あるいは無頓着だ。

 国会で追及を受け、ようやく枝野幸男行政刷新相が対応し始めたが、「政治主導」の看板が泣くというものだ。

 情報公開と文書管理は民主主義を支える車の両輪である。「地域に権限を」と唱える地方自治体も、文書管理の面で中央に負けぬ責任を全うしなければならない。

 その責任を負う相手は、いま目の前にいる納税者や有権者だけではない。記録を残すことは、将来の国民に対する説明責任を果たすことでもあると、自覚して取り組んでほしい。