強制されるのは嫌だよね

今日はまず、私の小学校の頃の話から。
たぶん3年生〜5年生のどこかの時期だと思う。
町内会で、国旗を各家庭で買う話があったのだと思います。
私の家も、購入しました。
祝日の度にスピリタス少年は家の前に率先して、プラスチックの黄色と黒(だったと思う)の縦縞に塗られた棒の先頭に金色の球を差込み、その下に日の丸を結わいて、家の入り口に掲げていました。
同じくらいの時期に、音楽の時間で先生がリコーダーのテストの課題曲を、
「教科書に載っている曲ならどれでもいいので、自分で好きな曲を選んでください」
と言われました。
一番簡単なのは、「アマリリス」だったのですが、芸が無い。
私は、「蛍の光」に挑戦したのですが意外と難しい。
思い出したのが、友人がやるといっていた「君が代」。
試験の本番は「君が代」を演奏しました。
後で、友人に「まねしたな」と言われて、素直に認めました。
蛍の光」は難しいし、長い。


その家は、中学1年の終わりまで住んで、引っ越しました。
引越しがきっかけか、引っ越す前からだったのか記憶が無いのですが、
祝日の「日の丸」の掲揚しなくなりました。
しなくなったきっかけは、たぶん飽きてきたのだと思います。
それと、小学校4・5年と2年間カブスカウト(小学校の6年生からボーイスカウトになります)に入っていたことも日の丸掲揚には影響していたと思います。
何時から、感じていたのかは記憶が定かではないのですが、「日の丸」「君が代」に違和感を感じている人と、推進していこうとしている人と、いる事に気が付きました。
私の心情として、推進していこうとしている人たちに対する違和感があります。
違和感を感じている人たちは、推進していこうとしている人たちに、『「日の丸」「君が代」を止めて』そこまで求めていないように思います。
推進していこうとしている人たちは、違和感を感じている人にまで「やってね」って言っていますね。
「なんでそこまでするの」
「目的は何」
そんな思いがあります。
私は、学校でも家庭でも「日の丸」「君が代」の取扱について、何も言われた記憶が無いです。
学校の入学式や卒業式、君が代歌った記憶が無いです。(歌ったかもしれませんが)
日の丸はあったような無かったような?
つまりあまり意識していなかったって事ですね。
記憶に残っていないってことで、この件で教育の現場では混乱が無かったと思います。


以前にも書いていますが、
今でも、オリンピックでメダリストの日の丸が掲揚されて、金メダルだったりすると、「君が代」が演奏される事、何の抵抗どころか、喜んで見ています。


今から書くこと最初に見たのは、5月18日の朝日・朝刊です。
ここへは昨日(26日)の朝日・朝刊の社説引用します。
http://www.asahi.com/paper/editorial20110526.html
http://www.asahi.com/paper/editorial20110526.html

大阪起立条例―あの一票は何だった 4月の地方選で躍進した地域政党大阪維新の会が、学校行事で君が代斉唱の際、起立と斉唱を教員に義務づける条例案を開会中の府議会に提出した。

 同会代表の橋下徹知事は「起立しないのは府民への挑戦」として、違反した教員を処分する条例案も9月議会に提出するという。実名公表にも言及した。

 都道府県教委が君が代斉唱時の起立、斉唱を各校に通達し、守らない教員を処分した例はあるが、条例で義務づけているところはない。

 先の選挙で維新の会は、府と大阪市との二重行政の解消をめざす「大阪都」構想を主に訴え、府議会で過半数を得た。

 多くの有権者は、経済的に地盤沈下の著しい大阪の閉塞(へいそく)状況を打開してほしいと期待して一票を投じたはずだ。

 それなのに最初の議会で出してきた重要条例案の一つが、日の丸・君が代をめぐる公務員の服務規律に関するものだった。

 驚いた府民も少なくないだろう。選挙中にこんな条例に触れた候補者はほとんどいないし、同会のマニフェストには何も書いていないのだから。

 数で押し切れば可決される。それでも他の会派は条例案を吟味し、議論を深めてほしい。

 第2会派の公明党は「府教委が現場で丁寧に指導すべきこと」と、条例化に反対の姿勢だ。平和・人権を党是に掲げてきた真価を見せてもらいたい。

 公明党は維新の会が過半数をとれなかった大阪市議会でも第2会派であり、大阪都構想推進へのかぎを握っているのだ。

 知事は「公務員なら君が代に敬意を払え」「子どもたちの晴れ舞台は厳粛なムードで」「身分保障に甘えるな」とツイッターに書き、違反を繰り返す教員を免職すべきだと主張する。

 日の丸や君が代について、私たちは「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という憲法第19条に照らし、強制すべき性質のものではないと繰り返し主張してきた。

 1999年に国旗・国歌法が成立した時の野中広務官房長官は「強制的ではなく、自然に哲学的にはぐくまれていく努力が必要」との考えを示した。

 条例を盾に起立、斉唱させるなら、強制以外のなにものでもないし、立法の精神を無視しているともいえる。

 式典を厳粛に運ぶことに異議はない。進行を妨げる行為は批判されよう。しかし、条例と処分による厳粛は、教育の場に何をもたらすのか。

 殺伐とした空気のしわ寄せを受けるのは子どもたちである。

橋下さん、やりすぎ。
独裁者になっちゃうよ。
橋下さんのこと最初に書いたのは、
2009-10-15 羽田 - なんやかんや
この時、こんな事書いています。

橋下さん、改革の意思はすごく感じるのですが、自分の思うようにならないときに、
脅しに近い手段とるのはどうかと思います。

今回も同じこと書きたい。
橋下さん良い所も沢山あります。
例えば、
高校無償化制度をめぐる朝鮮学校の除外の問題があった時。
2010-03-13 朝鮮学校除外するんだ。(その2) - なんやかんや
実際に朝鮮学校に足を運んで、


「民族に誇りをもって一生懸命やっているのはわかった。いい方向で解決したい」


なんて事を言っています。


さらに、沖縄基地問題でも、
2010-05-14 理想を語ろう!(その2) - なんやかんや

さっそく大阪府橋下徹知事が13日、「いま(基地を)受け入れていないところが受け入れるべきで、真っ先に考えないといけないのは関西」と記者団に語り、近畿ブロックの知事会で検討を求める考えを示した。

沖縄に負担を押し付けて、知らん顔のときに、関西に米軍基地受け入れ発言はとても勇気ある発言で、感心しました。



橋下さんの、問題点に鋭く切り込んで、しかも逃げない姿勢。
今の政治家に欠けている資質をお持ちで、期待してしまいます。
でも、府知事に対して申し訳ない言い方ですが、幼い。
大将になって、自分の思うようにしたい。
反対する勢力はなぎ倒す。
その感じが恐いです。
朝日社説にもあるように、大阪維新の会の議員さんは、当選するために、橋下さんへの絶対服従を承知の上なのでしょうか?
議員の身分を守るためなら。
そういう方もいるのでしょうが、それで大阪は良くなるのか?
橋下さん、自分に逆らわず従うだけの人物をまわりに集め、独裁者の道を歩み、裸の王様になっていくのでしょうか?
年齢を重ねて、石原都知事のようにはなって欲しくはないです。
維新の会の候補者に投票した有権者の中にも、驚いている人いますね。
橋下さんの自由な発想応援しますが、
自由な発想は自分だけで、他者には許さないわけではないのでしょうが、数の力で圧倒していく。
このやり方は違う。
維新の会、府議会で過半数持っています。
次の府議会選挙まで、思うがままです。
今後、橋下さんの意向を汲んだ、どんな条例を出して成立させていくか心配です。
強制的に、自由を奪っていく流れは拡大して欲しくないです。
そうなったら、大阪から日本を変えて欲しくない。
これが私の思いです。