春の庭

第151回(平成26年度上半期)芥川龍之介賞受賞作
柴崎友香さんの「春の庭」文藝春秋最新号で読みました。

文藝春秋 2014年 09月号 [雑誌]

文藝春秋 2014年 09月号 [雑誌]

春の庭

春の庭

文言春秋の最新刊は家の近所の市立図書館の出張所で読みました。
どこの図書館も似たようなシステムを採っていると思うのですが、
最新刊は図書館内でのみ自由に読むことが出来ます。
最新号が出ると、前の号は貸し出しも受け付けてくれます。
毎回そうなのですが、文言春秋の芥川賞受賞作が掲載される号は、最新号出る前に貸し出し予約が入っていて、
今サクット検索したら、市内の図書館に文藝春秋9月号は6冊あって、予約が14人入っています。
そんなわけで、私は次号が出る前に、図書館内で文藝春秋に掲載された芥川賞受賞作読むことにしています。
10年以上前は受賞作継続して購入していた時期もありましたが、本棚も一杯なので最近購入やめています。


文藝春秋の選評から読んだのですが、
選評の中に、この作品最後の部分の「おち」といわれる部分書かれている選者の方がいて、その場面になったとき、私には結末がわかっていたので、なんか損をした気分です。
選者の方も、「最後の部分がどうこう」という程度に話は納めて、具体的なことは話さないようにして欲しいですね。
「春の庭」
文藝春秋で読もうと思われている方、「選評」後から読むことお薦めします。


以下、落ちの部分には触れていませんが先入観無く読みたい方は飛ばしてください。
線で囲っておきます。


村上龍さんの選評に作品中(「 )が「 の部分90度回転した形で出てきます。
これアパートの上から見た形状を文章でなく作者の柴崎さん記号で表現されたわけです。
龍さんこの部分指摘していました。
確かに、記号ではなく、言葉で表現してこその文学。
編集者の方も指摘しなかったのでしょうか?
柴崎さんも龍さんの選評読んで「しまった」と思っているかもしれませんね。
私この選評先に読まなければ、この部分なんとも思わずに読み進んでいたかもしれません。
最初の方に記号出てくるので、違和感ありました。
柴崎さんもし文章で書いていたらどのように書かれているのだろう?
そんな所が気になりました。


伊藤計劃さん集中で読む予定ですが、
明日は9月、文言春秋の最新号が出ますので、その前に読んできました。
あと未読の伊藤計劃さんの作品手元に無くて、今日2冊隣の市の図書館で借りてきます。
私の市の図書館で予約が既に5人入っている作品。

屍者の帝国

屍者の帝国

この作品は伊藤計劃さん途中まで書いて(30枚ほどだそうです)亡くなっています、
その続きを円城塔さん(この方2012年第146回芥川龍之介賞受賞されています。元々SF書いてます。)が書いています。ウイキペディアリンクしときます。
円城塔 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%9F%8E%E5%A1%94
一部引用します。

2006年(平成18年)の第7回小松左京賞に応募し、「Self-Reference ENGINE」で最終候補作となるが落選。同作を早川書房に持ち込みしたところ、当時SFマガジン編集長の塩澤快浩に認められ、2007年(平成19年)に刊行されてデビュー。まったく同じ経緯で『虐殺器官』が刊行された伊藤計劃と、この時から親交を結び、のちに共作を行うようになる。

芥川賞受賞作読んだ時(勿論近所の図書館で文藝春秋)に、ここに書いたのもリンクしときます。
2012-02-12 シュレーディンガーの猫 - なんやかんや


私の市の図書館では置いていない作品

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)

があって、隣の市で予約しました。



今日スピリタス
15:35分に
小倉11R 小倉日経オープン
8枠12番 太宰 啓介騎手で走ります。