風流夢譚

昨日出てきた「風流夢譚」です。
深沢七朗(10月9日に少し書いてます)さんが、
1960年12月号の「中央公論」に載せた小説です。
本の中に、いっしょに載ってるみたいなのはあるみたいですけど。
公になったのは、このときの「中央公論」だけす。


作者が見た夢の話ということで、
「人民(一般の人)による革命がおきて、
その中で皇居を襲撃した人たちによって、
皇族の方々が・・・・」
というようなことが書かれています。


この号が発売になると、(12月号なので発売は11月です)
右翼の人たちが問題にして、
中央公論社をつぶせみたいに運動が発展していってしまいます。
そして翌年の2月1日の夜、当時17歳の少年が中央公論社長宅に押し入り、
社長は不在でしたが、
お手伝いさん1人を刃物で刺して殺害し、
奥様とお手伝いさん重症を負わせる事件に発展してしまいました。


この事件の4ヶ月前の1960年10月に社会党の浅沼委員長が、
演説中に右翼の少年に刺されて殺害される事件もあり、
こういった時代背景の影響もあったと思います。
この件に関しては、

テロルの決算 (文春文庫)

テロルの決算 (文春文庫)

に詳しく書かれています。
この作品で沢木さん、
1979年の第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞 しています。


風流夢譚の事件に関しては、
当時の「中央公論」副編集長だった方が書いた、
一九六一年冬「風流夢譚」事件 (平凡社ライブラリー (158))
が出版されています。


その後現在に至るまで、天皇に対する報道は慎重になっていきます。
パルチザン伝説」が出たときも、
この事件を連想させるような感じになったのだと思います。
本当は、毅然としていないといけないのでしょうけど、
そりゃ出版社もビビリますよね。


ただ小説の内容や姿勢、この2作だいぶ違うのですけどね。
深沢さんはもう亡くなっていますが、
自然と共に、ギターと酒を片手に、
飄々とした、お爺さんって印象があります。
桃仙人―小説深沢七郎 (ちくま文庫)
こんな本を嵐山光三郎さんが書いてます。


深沢さん本人も当然危険なわけでして、
あちこち放浪して、
ようやく1966年に埼玉に農場を開いて定住したそうです。
このとき深沢さん既に50歳です。
その後も死ぬまで、深沢さんこの事件のことは、
語りたがらなかったそうです。


自分のしたことに対して、自分が責任をとれるというのならいいのですが、
自分のしたことで、誰かに迷惑がかかってしまうというのは、
私が考えてもとても辛いことだと思います。
まして人が1人死んでしまっているわけですから。
深沢さんは、そうした思いを全部背負い込んで、
飄々と生き、
そして1987年に亡くなったのだと思います。


「風流夢譚」読むにはどうしたらよいか?
ということですが、
各市町村の一番大きな図書館に行ってみてください、
雑誌のバックNO保存してあるはずです。
閲覧の申し込みに、
中央公論」1960年12月号
と書けば見ること出来ます。
コピーもさせてくれます。
こういう場合は、著作権的にも問題ないですね。
ページは328P〜341Pです。
本当に短い小説です。
ページ知らなくてもこの号は、
多くの方が閲覧しているらしくてすぐわかると思います。
この方法が一番正当な方法になります。