グレート・ギャッツビー

村上春樹さんの訳で出ていますね。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

この作品3日の日曜に一気に読もうと思っていたのですが、
読書中が、いつの間にか昼寝になってしまい読み終わることができずに、昨日残りまとめて読みました。
村上さん以前からこの作品絶賛していましたので、
私、村上訳を待たずに、学生時代に、読んでます。
華麗なるギャツビー (角川文庫)

華麗なるギャツビー (角川文庫)

しかし当時の私にはこの作品の良さが理解できませんでした。
ストーリーの展開が頭に入りにくくて、
終わりまで読むの苦痛に感じた記憶があります。
その後映画の方もTVでやったときに見る機会がありました。
華麗なるギャツビー [DVD]

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残念ながらこっちもそんなに感動しませんでした。
私がこの作品を理解するにはまだまだ子供だったのか?
感性が不足していたのか?
なんともいえませんが、
できることなら感性が不足していたのではないことを願います。


この作品元々そんな苦手意識があります。
で村上訳が出たわけです。
私が年をとって、この作品が理解できる年になったのか?
村上訳が良かったのか?
作品のもつ「せつなさ」みたいなものは感じ取ることができました。
でもおそらく、と言うよりほぼ確実に、
村上さんが絶賛するほど私にはこの作品の良さが理解できていないと思います。
村上さんどっちにしても、日本語訳ではなく、フィッツジェラルドの原作読んでいますね。
村上訳グレート・ギャッツビー、実はあとがきがかなり長めです。
その中から少しだけ引用します。

グレート・ギャツビー』はすべての情景がきわめて繊細に鮮やかに描写され、すべての情念や感情が極めて精緻に、そして多義的に言語化された文学作品であり、英語で一行一行丁寧に読んでいかないことにはその素晴らしさが十全に理解できない、というところも結局はあるからだ。

そう私には、この作品の、繊細さ、精緻さによって自分の感性を震撼させることができなかった。
そういう結論にいたります。
この作品の良さはその部分をどこまで感じ取れるか。
読者の力量が問われていますね。
でもこの作品フィッツジェラルドさん執筆した時28歳でした。
どうも文豪って年長者のイメージですが、
そう呼ばれる方々は若いうちからすごい作品書いていますね。


そんな私にとっては、グレート・ギャッツビーの世界も意識しつつ、
村上さんが群像の新人賞受賞によって、文壇デビューをはたした。
風の歌を聴け

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

の世界は魅了されました。
何が書いてあるかも重要だが、読み終わった後の感覚が内容以上に私の中に残った。
「この新人さんすごい」
そう思いました。
私には、フィッツジェラルドより、村上さんでした。
勿論それ以来、作品は新刊出るたびに読んでいます。
このブログにも何回も書いてます。
村上さん今までにたくさん作品書いていますが、何か一冊と言われると私はやっぱり、
デビュー作の「風の歌を聴け」です。
あの読後感の気持ち良さ今でも思い出します。


話戻して、私には語学力がないので無理ですが、
そんなに魅力的なグレート・ギャッツビー、原作読みたくなりますよね。
作者あとがき引用します。

だからこういう小説は原文で読んでいただければいちばんいい、ということになってしまいそうだが、ところがこの原文がまた一筋縄ではいかない。空気の微妙な流れにあわせて色合いや模様やリズムを刻々と変化させていく、その自由自在、融通無碍な美しい文体についていくのは、正直言ってかなりの読み手でないとむずかしいだろう。ただある程度英語ができればわかる、というランクのものではない。

ん〜。
どおすりゃ良いの?
でもこの一文を読んで原作に挑戦したくなったあなた。
そういう人私好きです。
私に好かれても困りますね。
私は、そのうち村上訳のグレート・ギャッツビーもう一度読んでみます。
ただ村上さんが褒め称えている、
「すべての情景がきわめて繊細に鮮やかに描写され、すべての情念や感情が極めて精緻に、そして多義的に言語化された文学作品」
「空気の微妙な流れにあわせて色合いや模様やリズムを刻々と変化させていく、その自由自在、融通無碍な美しい文体」
この部分感じましたが、鑑賞するレベルまで今度は一行一行時間をかけて丁寧に読むことにします。