章二(庄司)さんの冒険

今日は庄司薫さんについて書きます。
ウィキぺディア参考資料として使用しています。
庄司薫 - Wikipedia
庄司薫でデビューする名に福田章二名で、

1958年、本名で東京大学教養学部文学研究会機関誌『駒場文学』第9号に発表した『喪失』で中央公論新人賞を受賞。

喪失 (1970年)

喪失 (1970年)

この本私持っていまして、
昨日書いた表現を真似すれば、
能ある鷹が爪を隠さなかった作品です。

大学卒業後、1960年、『文學界』7月号に発表した「輕やかに開幕」を最後に9年間筆を絶ち、謎の多い空白期間を過ごす。

1度文学から撤退しているわけです。
その後、

東大闘争のあった1969年、長年の沈黙を破り、初めて庄司薫の名義で『赤頭巾ちゃん気をつけて』を発表。三島由紀夫たちに才能を認められ、芥川賞を受賞した。

この作品ですが、過去の芥川賞受賞作の中で歴代累計売り上げ部数ランキング3位になっています。
以前書いていますので、よろしければどうぞ。↓
2006-07-13 芥川賞(その2) - なんやかんや
全く福田章二さんと違った文体で、庄司薫として再デビューするわけです。
薫君シリーズ全部で4作あるのですが、これは、まさしく能ある鷹は爪を隠す感じです。
ところが、庄司さんもこの作品、
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」との類似性を指摘されていました。
この本、後に村上春樹さん訳が出た、キャッチャー・イン・ザ・ライです。

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ

なんか庄司さんなら良くて村上さんなら良くない理由わかりませんが、
庄司さんの場合、福田章二名で既に作品出していた実績があったので、
この芥川賞受賞した「赤頭巾ちゃん気をつけて」以後も作品を書けるだろうという根拠を認めていたからなのかもしれませんね。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」
の選評も引用しておきます。
http://uraaozora.jpn.org/akuta61.html

◆第61回芥川賞受賞作−昭和44年上半期−

庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」 初出「中央公論」(昭和44・5)
田久保英夫「深い河」 初出「新潮」(昭和44・6)


三島由紀夫
「赤頭巾……」はケストナーの「フェビアン」を想起させる、或る時代の堺目に生れた若者の、いろんな時代病の間をうろうろして、どの時代病にも染らない、というところに、正に自分の病気を見出し、しかもそれが病名不詳で、どう弁解してみても説明してみても、医者にもわかってもらえない病気の症状、現代の時世粧をアイロニカルに駆使しながら、「不安定なスイートネス」の裡に表現した才気あふれる作品だと思う。


丹羽文雄
 庄司薫君の「赤頭巾ちゃん気をつけて」は面白かった。よい小説、面白い小説、うまい小説というふうに私は自分だけに分類しているが、面白い小説のジャンルでは群を抜いていた。これはこれでよろしい。


滝井孝作
 庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、現今の学校卒業生の生活手記で、十八歳の少年にしては余りにおしゃべりだが、この饒舌に何か魅惑される、たぶらかされる面白味があった。素肌に手術著だけの女医、さくら餅を一と鉢たべてしまう学校友だち、銀座の人ごみの赤頭巾の童女、しまいの幼ななじみの女の子と逢う場面など、次ぎ次ぎに構成も面白く、繊細な美しさがあった。筋のない小説らしい。


大岡昇平
「赤頭巾ちゃん」が、現代の典型の一つを、「猛烈」「最高」など流行語で書き表しているのに興味を惹かれました。病気のため銓衡の会合に出席出来なかったので、この作品が「新しさ」という点で、芥川賞にふさわしいのではないか、と推薦しておきましたが、他の作品もよかったので、その中からもう一つ当選作が出たのは、当然の結果といえそうです。


井上靖
 庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」、田久保英夫氏の「深い河」の二篇いずれが授賞作になってもいいという気持で銓衡の席に臨んだ。そしてその席上においても「赤頭巾ちゃん」の才能をとるか、「深い河」の危っけのない手堅さをとるか、なかなか決心がつかなかった。最後に私自身は多少の不安はあったが、「赤頭巾ちゃん」にしぼった。


中村光夫
 庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、才筆には違いありませんが、僕は最後まで興味を覚えることができませんでした。高校生の手記の形をとりながら、ときどきひどく大人びた感想がでてくるだけでなく、作者がここで懸命に生かそうとしている(あるいは装おうとしている)アクチュアルな若さが、遂に生動してこないからです。


永井龍男
「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、すべて現在に取材しスクープし、そのためには作者のペンネームまで変えた。読み進むうち、この小説は二人以上の筆者による合作ではないかと推理したが、結末の「あとがき」に到ると、そういう読者を予測したかの感想も添えてあった。(中略)まことに気がきき才筆なことは確かだが、アイスクリームのように溶けて了う部分の多いことも、この作品の特徴であろう。


石川淳
 車はうごかなくても、車輪がくるくるまわっているので、車がうごいているように見える、そこに「赤頭巾ちゃん気をつけて」のスタイルの面目がある、それがおもしろくないこともない。すなわち、おもしろくなくても、おもしろいように見えるというわけである。(中略)わたしはあえてこのスタイルを推す。

庄司さん選考委員の方たちの受けも良くて、1度のノミネートでそのまま芥川賞受賞しています。
ただ気付いたのが、この回落選した作品については、ほとんど選評がありません。
村上さん落選した2回とも評者が作品についてコメント残しています。
「気になった」作品であった。
そう言えるのではないでしょうか?
福田章二では芥川賞の候補にもなっていませんでした。
どっちにしても、村上さんと違い選考委員の方々の評判が良いですね。
だから芥川賞受賞したのですが、
この違いはなんなのでしょう?

庄司薫さんは、

小説家としては1978年の『ぼくの大好きな青髭』を最後に沈黙している。

こういう現実があります。
福田章二(1957年〜1960年まで3年間書きました)〜庄司薫まで9年間作品発表しませんでした。
庄司薫では1969年〜1978年まで10年書いています。
(10年といっても、その後の2作、『さよなら怪傑黒頭巾』・『白鳥の歌なんか聞こえない』はコンスタントに執筆していまして、最後の『ぼくの大好きな青髭』の出版までに何年もかかっています。)
そして現在まで30年作品発表していません。
庄司薫さん、次の展開をすることなく沈黙してしまいました。
私好きな作家だけにまた書いて欲しいと思っているのですが残念です。
でも、福田章二さんから、庄司薫さんへの変身、かなりの冒険をされていると思います。


似て欲しくなかったのですが、
サリンジャーさんとの共通点まだあります。
これもウィキペディア参考にしています。サリンジャー - Wikipedia

サリンジャーの処女作『若者たち』(The Young Folks)が初めて掲載された雑誌はバーネット『ストーリー』(1940年3,4月号)である。
1965年に『ハプワース16』(HAPWORTH 16,1924)を発表したのを最後に、2007年現在、一冊の本も出版されていない。

とのことで、活動期間25年その後43年(年が変わったので、2008年で計算しています)沈黙されています。
こんなところ庄司さん真似しなくても良いのにね。
庄司薫さんがこのように沈黙されたままなので、
村上春樹さんが次々と作品を書き続けていらしゃること、本当にすごいことですね。


今回これを書くに当たって発見した、芥川賞・受賞又はエントリーされた方たちのリストの出ているアドレス紹介しておきます。
候補にはなったが、結局この賞を受賞すること出来なかった方たちの中に結構有名作家いたりしてわたしは興味を持ちました。
http://uraaozora.jpn.org/akutasakuin.html