きちんと見てる?

昨日読んだ「時が滲む朝」芥川賞・受賞していないと読んでいないと思います。
芥川賞・受賞していなくてもいい作品たくさんあることはわかっています。
例えば、村上春樹さん受賞していないです。
私は、なぜか群像の新人賞受賞デビュー作「風の歌を聴け」を偶然書店で見つけ購入したので最初から出会うことが出来ました。
既にお亡くなりになって、新作が出ない桐山襲さんも、文藝新人賞佳作になった、「パルチザン伝説」が右翼の妨害にあい、版元の河出書房新社が発行を見合わせました。
「それではいかん!」という事で、この作品を世に出そうという人たちの手で、作品社という出版社が発売した事を書いた新聞記事を読んで出会うことが出来ました。
以前書いています。
2005-10-18 パルチザン伝説 - なんやかんや
受賞はしていませんがお二方とも2回ずつ芥川賞候補になっています。
文学に凝った時期ありまして、その時代より遡って芥川賞直木賞受賞作手当たり次第に読んだ時期あります。
そこで、庄司薫さんとか出会いました。
本当は、賞に関係なく、自分の目で気に入った作家や作品に出会いたいのですね。
それが新人作家の場合なかなか難しいので、私の中で芥川賞は1つの指針になっています。


実は、私権威とか、肩書きに弱かったりします。
○○大出身、とか聞くと単純に「すごいー」って思ってしまいます。
情けないですが。
学歴は高校の一時期(今はその競争が小学校入学の時点ではじまっているとも言えそうです)にそれなりの努力をした証明にしかなりませんね。
でも、日本の場合表向きは自由競争で努力1つで最高学歴入手可能ですから、それをしない方が悪いってことですね。
親の資力の差でそういうことが、崩れてきていますが、資力で差がつかないように、社会として子供たちの能力を高めていくシステムは作らないといけませんね。
医者・弁護士は、その資格がないとできないお仕事ですが、だからといってそういう方達が人間としてどうなのか?
当然人それぞれです。
家も無く仕事もない方達で、どうしょうもない方もいっらっしゃるでしょうが、人間として尊敬できる方もいると思います。
今、フッと浮かんだのですが、
TV局、取材するだけでなく、そういう方たちをスタジオに集めてきちんと、何で今の状況になって、これからどうして欲しくて、どうしたいのか。話を聞いたり、話し合う番組作ればいいと思います。
そして、出演料を払うのです。
仕事にありつけますね。
そういう、権威・肩書きに関係なくその人自身をきちんと見ないといけませんね。


所が、これ人だけじゃないんですよね。
例えば、初詣の神社。
何とか国の一宮とか、何とか大社とか、
天皇家の方たちや、菅原道真とか誰って実際の歴史上の人物を奉っている神社だけではないですね。
で、そういった神社の格式って結局、神が決めた事ではなくて、私たち人間が決めていますよね。
そういう、いわれを聞いてありがたがっていません。
私、初詣は行きませんが、ありがたがっています。
でも、「なんでみんなそういうこと気にするの?」って言われると。
「エッ」
って固まりません?
私固まりました。
そうなんか、こういう権威とか肩書き世の中に溢れています。
モンドセレクション特別金賞
だってそうです。
もうそんな権威つけたら、
「まずい」
って言いにくいですね。
実際の味を判断する基準が鈍ってしまいます。
発泡酒より安い、ビール風味飲料飲んで、
「コリャ最高」
ありですよね。
個人の味覚の問題ですから。


地元のちょっとした神社や、地元の居酒屋が、
伊勢神宮や、神楽坂のお店に負けないくらい素晴らしい事発見したいですね。
ま、伊勢神宮は行った事ありますが、神楽坂一度も行った事無かったりしますけど。
これ、かなり難しい課題ですが、
そういう、権威や肩書きに惑わされる事無く。
物事の本質をきちんと自分の目で見たいですね。
でも、シャトーなんとかの何年物とか言って出てきたらありがたがってしましそうです。
書いたそばから揺らぐこの頼りなさ。(^_^;)
そう、ブランド品とかもそうですが、こういう権威とか肩書き商売になりますね。