沖縄密約(吉野文六さん)

このタイトルで書くの何回目だか、調べたら沢山書いていました。
昨日の朝日・朝刊1面左に新しい事実出ています。
朝日新聞が吉野さんに取材して書いた記事なので、他紙には出ていないと思います。
asahi.comから全文引用します。
http://www.asahi.com/politics/update/1112/TKY200911120437.html?ref=any
http://www.asahi.com/politics/update/1112/TKY200911120437.html?ref=any

沖縄密約、核撤去費は「どんぶり勘定」 元外務省局長(1/2ページ)2009年11月13日3時31分


 72年の沖縄返還の交渉責任者だった吉野文六・元外務省アメリカ局長(91)が12日、返還協定で日本が米国に支払うと定められた3億2千万ドルのうち、核兵器撤去費とされた7千万ドルについて「どんぶり勘定だ」と述べ、日本側だけで決めた積算根拠のない額だったと明らかにした。核兵器撤去を大事業と印象づけ、撤去を求める世論に返還の意義を訴える狙いがあった。

 吉野氏は12月1日、沖縄返還の「密約文書」の存否をめぐる情報公開訴訟で、証人として出廷する。これを前に、朝日新聞の取材に語った。

 鳩山政権は、核兵器を積んだ米艦船の日本への寄港・通過は「核持ち込み」に当たらないなどとする日米間の密約4件の調査を進めている。吉野氏はこのうちの、米軍の用地を田畑などに戻す「原状回復補償費」を日本が肩代わりするとした沖縄返還密約の当事者。米側が本来負担するはずの補償費400万ドルは核兵器撤去費の項目に潜り込ませていたことが分かっている。

 米政府の施政下だった沖縄では、核兵器持ち込みに制約がなく、核爆弾や中距離核弾頭ミサイル「メースB」などが配備された。このため、返還に当たっては「核抜き本土並み」の実現が大きな課題だった。吉野氏によると、総額3億2千万ドルの内訳について、大蔵省の柏木雄介財務官(当時)との間で「我々だけで振り分けてみたらどうか。うまくやらないとばれる。野党がやたらと言っている核(撤去費)をうんと大きくしろ」と相談したという。

 吉野氏はまた、「『これだけ金を払ったから、撤去したんですよ』と示すために内訳を決めた。国会対策としてやった」と振り返った。実際の撤去費用は不明だが、吉野氏は「(核兵器は)日本人が触るようなものではない。(米軍が)港に行って船に載せるだけ。7千万ドルもかかるわけはない」と述べた。

別アドレスになりますが、2ページ目です。

沖縄密約、核撤去費は「どんぶり勘定」 元外務省局長(2/2ページ)2009年11月13日3時31分

 内訳をめぐっては、00年に朝日新聞などが入手した米政府内の議会対策の公文書では、米側がつくった水道や電気などの資産買い取り費や、返還に伴って増えた人件費、原状回復補償費などとされ、核兵器撤去費の記載はない。吉野氏は「向こうは(内訳は)何でもいいんだから。米国は自分で(撤去を)やって金がかからない。『核撤去費』と書いたら、米国は笑い、日本はみんな喜ぶ」と指摘した。

 沖縄返還密約に詳しい我部政明琉球大教授は「核撤去費用の積算根拠について米側と相談した形跡がなく、なぜこのような数字が出てきたかずっと疑問だった。事実と違うと知っていながら、政府内部で手はずを整えて国民に虚偽の説明をしていたという事実は重い」と述べた。(倉重奈苗、鶴岡正寛)

吉野文六さん沖縄密約について当事者の立場で過去にも発言あります。
ご本人91歳。
他の関係者はほとんど他界していらっしゃるでしょうから、過去の真実を未来の記録に残すために包み隠さず発言してほしいですね。
円ドル相場も調べてみました。
ニクソン・ショック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF

1971年12月に、ワシントンD.C.スミソニアン博物館で各国の蔵相会議が開かれる。ここでドルと金との固定交換レート引き上げ、ドルと各国通貨との交換レート改定が決定される(スミソニアン協定)。

日本円のレート改定会議は順番が最後であり、ほとんど時間は用意されなかった。その中で円については、360円から308円へ、16.88パーセント切り上げることが提案された。この切り上げ幅は諸国通貨の中でも最大で、日本の代表使節団の予想も大幅に上回るものであった。そして、水田三喜男大蔵大臣を中心とした日本の代表使節団が言い淀み思案している間に提案は決裁され会議は終結した。

こうしてドルは大幅な切り下げに成功したが、アメリカの貿易赤字は拡大。固定相場制度への信頼性が低下したことから1973年には、主要国ほぼ全てが変動相場制へと移行した。

72年に返還協定ですので、360円の固定相場から、308円の固定相場になったところ。
変動相場制に移行前ですね。
昨日の1ドルは89円代での取引だったようです。


為替の変動の大きさにも驚きます。
今だと、7,000万ドルは6,230万円。
308÷89=3.461(小数点4桁目で四捨五入)
当時相場だと、24,227万円程度をどんぶり勘定でアメリカに払ったわけですね。
オバマさんちょうど日本にいますが、クリーンないい関係を日米で築いていきたいですね。