敗北の文学

ブンとフンと1日違いで、図書館から連絡が来ていた、
宮本顕治さんの
「敗北」の文学
読みました。
図書館に予約した時書きましたね。
2010-08-02 気になる本 - なんやかんや

「敗北」の文学 (1975年) (新日本文庫)

「敗北」の文学 (1975年) (新日本文庫)

画像入れますね。

どっちにしても、今本屋さんでは売っていないので、図書館で借りるのが一番簡単に入手する方法だと思います。
30ページほどの作品です。
まず、タイトルが良いですね。

東大在学中の1929年8月、芥川龍之介を論じた「『敗北』の文学」で雑誌『改造』の懸賞論文に当選し、文壇にデビュー(次席は小林秀雄の『様々なる意匠』)。

小林秀雄さんは既に評論活動もしていて、ツテもあり自分が当選するものと思っていたようです。宮本さんは全くの新人だったそうです。
この本の後書きでエピソード紹介されていました。
小林さん私たちの世代にとっては、入試問題に良く使われている作家さんとして知られていました。
「モオツァルト・無常という事」私も持っています。

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

私たち世代は1冊は持っているのいでゃないでしょうか?
持っていなくても、過去問題とか、模擬試験でいやでも読んでいますね。(^_^;)
宮本さんの文章は平易とはいえません、若さと頭のよさ、どっちも感じます。
勿論入試で使われるようなことはなかったでしょうね。
でも、副読本の文学史の中には、「敗北」の文学と宮本顕治さんの名前は出ていました。
宮本顕治 - Wikipedia

宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年(明治41年)10月17日 - 2007年(平成19年)7月18日)は、日本の政治家、文芸評論家。

戦前の非合法政党時代以来の日本共産党活動家で、第二次共産党の最末期には中央委員として党を指導した。戦後は参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長(第3代)、同党委員長(初代)、日本共産党議長(第2代)を歴任。

ということで、この作品宮本さん21歳の時に書いているのですね。
できる人は違う。
やっぱり、いつかやろうと思って無駄に年を重ねるよりも、
いまさっさとやった方が良いですね。
自戒の念も込めて、
「若いうちにできなかったことが、年を重ねたらできるのか、そのうち忘れてしまったり、諦めてしまうかもしれない。才能のある方は、若いうちからできてしまうし、才能がない場合は、目標に向かって一歩ずつ積み重ねていって、できたり、できなったりする」
それが現実でしょうね。
21歳で書かれた。
この事実はちょとショックです。
既に活動はしていたようですが、入党はこの後です。

1931年5月、日本共産党に入党

プロレタリア文学」という言葉は知っていましたが、
対立する用語として「ブルジョア」という言葉が、否定的に使われていました。
宮本さんも十分インテリだと思うのですが、
「インテリゲンチア」という言葉も否定的に使われています。
最後の3行引用します。

 だが、我々は如何なる時も、芥川氏の文学を批判しきる野蛮な情熱を持たなければならない。我々は我々を逞しくするために、氏の文学の「敗北」的行程を究明して来たのではなかったか。
 「敗北」の文学を − そしてその階級的土壌を我々は踏み越えて往かねばならない。

力強く、前向きな結論になっています。

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)

ということで、自殺の2年後に書かれていて、ひじょうにタイムリーな作品でもあったようです。