ジョン・ロードさん

今日の朝日・夕刊に
ジョン・ロードさん亡くなったと出ていました。

以下の映像は、亡くなったの知ってどなたかが作られたような映像です。

検索していたら、リック・ウエイクマン(元イエス)さんと競演されている映像発見。


ディープパープルって、初期ジョン・ロードさん主導で、クラッシックというかプログレ系のバンドでした。
ディープ・パープル - Wikipedia
一部引用

この時期、アメリカのロック・シーンはレッド・ツェッペリンの衝撃的なコンサートとアルバムに注目が集まっていた。この流れを踏襲したブラックモアは、よりハードなサウンドをバンドに導入する事を提案したが、ロードは「せっかく軌道に乗り始めたクラシックとの協調路線を台無しにする必要はどこにもない」と猛反対し、第1期の流れをくんだ幻想的なサウンドをバンドに要求したと伝えられている[2]。最初に進むべき方向を提示したのはロードであり、1969年9月24日、ロード自身が作曲したコンチェルトを、ディープ・パープルとロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラ とで演奏し、その演奏をライブ録音したアルバム『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』が12月にリリースされた。このアルバムは翌年のメロディー・メーカー誌 (Melody Maker)のアルバム人気投票で9位に選ばれた。

話し合いでは根本的な解決が困難だと結論したブラックモアは、オーケストラとの共演アルバムが完成した後、一度だけハードロックを志向するアルバムを作ってファンの反応をみたいと提案した。ロードはそれを承服し、次回作の主導権をブラックモアに託した[2]。こうして1970年に入って新作アルバムのレコーディングが開始され、本国イギリスで6月20日に、『ディープ・パープル・イン・ロック』というタイトルで発売された。このアルバムはイギリスチャート4位に入り、さらにプロモーション用にレコーディングしたシングル曲の「ブラック・ナイト」がイギリスで2位を獲得した(ただしアメリカでは両方ともさっぱり売れなかった。日本ではこの曲がラジオでヒットし、新しいハードロックバンドとして人気を集めるようになり、21世紀の今でもテレビコマーシャルに使われるほど親しまれている)。

この結果、ディープ・パープルはハードロック路線を進むことが決定し、バンドの楽曲制作はブラックモアが主体となって行うことが自然に決まった。ロードは作曲面では基本的に身を引く形となり、逆に「ジェミニ組曲」や「ウィンドウ組曲」などのソロ作品に創作意欲を振り向けるようになった。



私は、どっちの路線のディープパープルも好きです。
ハイウエースター☆彡

同じ曲ですが、好きなので別バージョンを。

スピードキング

最後は、「ブラック・ナイト」