日本の良い所って、世界中の情報がけっこうリアルタイムに、満遍なく(本当はそうでもないのかもしれませんが)入ること。
様々な考え方に、触れられることだと思うのです。
たとえば、
「貧しくても本当は心豊かに暮らしている人がいるかもしれない」
と思えるのは、その比較ができるからで、その中で暮らしている人は何とも思っていないかもしれないですね。
たとえば、
治安が安定していない地域で、反体制側の、最悪の場合ゲリラかなんかの中で育ってしまった時、自分の知っている日常がどれほど過酷か判らない。相手を殺すこと(人殺し)でさえ正義になってしまいますね。世界中が狭い視野の中で、自分の正義を振りかざして戦っていた時代もありますね。
(この時ものんびり暮らしていた人々もいるのですね)
ですからそういう事実を知って悩めることは幸せなのかもしれない。
情報量が多すぎて他と比較してしまい満足できない、そんなマイナス面も無視できませんが、ここはプラス思考で。右翼も・左翼も・もちろん宗教も、思想的には自由に情報を発信し主張できるのはすばらしいことだと思います。
「あなたの考えに私は賛同できないけど、あなたの発言する権利を私は守る」
なんて言葉を私どこかで聞いたことがあって、とても共感しました。個人的にはこの多様性を取り締まろうとする流れには賛同できません。
【皆が1つの方向を向いた時の方が世の中ヤバイ】
気がします。
それは自分の気にいらない思想もあるでしょうし、権力を握るには自分の考えに力を持たせ、相手方の力を削ぎ落とすことがポイントになってくるのは事実でしょう。
でもそういう権力って、どうなんでしょうね。
皆がそれぞれの方向を向いて歩いている時の方が、幸せで豊かな暮らしになりそうな気がします。それを平気でいられる状態に世界中がなればいいのにと思ってしまいます。幸せの価値は人それぞれのはず。
でもそうなったら、そうなったで、そういう状態に我慢できない人がきっとでてきますね。残念ながらそれも認めないわけにはいかない。
それに
「皆がそれぞれの方向を見つける」
と言うのが「至難の業」というやつなんでしょうね。
変化を恐れない勇気があれば・・・・
変化をしなくてもこのまま突き進む力強さがあれば・・・・
人と違っていてもこの道と言う信念があれば・・・・
きっと誰もが幸せを手に出来そうな気がします。
あいちトレエンナーレとか、日韓の件とか、トランプさんなどを思いつつ書いてみました。
追記
本文の中のどこかで聞いた言葉の件調べました。
フランスのヴォルテール(一六九四年一一月二一日~一七七八年五月三〇日)さんの言葉のようです。ウィキペディアには「わたしはあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命を懸けて守る」と書かれています。
心の広いこと言っていますが、ウィキぺディア読んだら反ユダヤ主義だったようです。人は色々な面を持っていますね。