「ぼくの大好きな青髭」(中央公論社刊)

休みなので、寝転がって、昨日できなかった。
「ぼくの大好きな青髭」(中央公論社刊)
読みました。朝から読んだ(9時頃です)のですが、
気持ちよく朝寝をするという贅沢をしてしまいました。
読書をしながら寝る、これもある種、贅沢ですね。


さて、出版された方は、分量が少ないだけあって、
こうやって読み直してみると、内容カットされている部分、も違いも結構ありますね。
例えば出だしから、主人公薫君、拉致されそうになって、
1、捕まって、車に乗せられる(こっちが連載)
2、振り切って逃げる(こっちが出版)
と違っています。
その後の展開も当然違います。
勿論、同じ所もあります。
まるで、ゲームブックで、どっちの道を進むか選んでいって、
両方のストーリーを味わったような感覚です。


私はゲームブック

を読んだことあります。
こういった形式の本このとき初めて読んだので、
すごく新鮮でした。
そうは言っても、後にも先にも、この本しか読んだことありません。


話戻して。
いくつか気になった内容を引用します。
(ぺージ数は、単行本のページで文庫ではありません)


45Pでアムステルダムのフーテンの話として、登場人物の陽灼けした青年が語る台詞
#「そうしたらね、あっちはフーテンでも先進国なのか、年季の入ってそうなヒッピーがたくさんいるわけなんだ。かなりくたびれた夫婦ものとか親子連れ風のとかがね。それがね、たとえば道端で亭主がギター爪弾いて歌をうたってお金を稼いでいると、その横で人目を避けて小さくなった女房が子供にお乳やってたりするわけ。要するに生活のにおいがして、みじめったらしくなってくるんだなあ。人生きびしいなあって。ああなるといけないんだな。」


どういう感想お持ちにないますか?
私、2005-8-28に影響を受けた本で「清貧の思想」について書いています。
そこでこんなこと書きました。
「読んだ後、ちょっとはまってしまって、
方丈記徒然草奥の細道吉本隆明西行伝」・辻邦夫「西行花伝」
など続けざまに読んでしまいました。
鴨長明吉田兼好西行などは社会的地位を捨てて、
隠居したかっこよさありますね。
でもそうやっていてもご飯が食べられたという意味で羨ましくもありますね。
(話が下世話になってしまってすいません)」
この本にこんなこと書かれていたのすっかり忘れてました。


さらに69Pでは同じ青年の台詞
#「十字架回収にしても何にしても、要するにぼくたちをどこか不安にするような動きを追いかけて、とにかく一つの解釈を与えて安心しようとする。つまりは、解釈するだけで自己完結するチャチなコマネズミ、と言わなくちゃいけないわけですね。」


自分たちが原動力となって、行動することの出来ない青年たちが自らを称して、
「解釈するだけで自己完結するチャチなコマネズミ」
と言っている場面です。


157P〜158Pにかけて薫君自身が自問自答しているシーン
#人間にとって、いや、少なくともこのぼくにとってほんとうに怖いのは、年老いて、遥かな時間と疲労の厚い壁の向こうに夢と情熱に溢れた十八をもつそのことではなく、実は十八歳の自分をそのまま持ちながら年老いるとういうことなのではあるまいか?自分にも十八歳の時には夢があったと年老いて語ることが怖いのではなく、そう語りながらもなお夢は消えないというそのことこそ恐ろしいのではなかろうか? と。


他の「赤・白・黒」3作の薫君には、絶対に自問させなそうな文章だと思いました。


181P〜182Pのシヌへ君と薫君の会話。
#「だからね、つまりは実力なんだよ。どんな夢を持とうと、どこへ行こうと、とにかく何かを独りでやっていくにはさ、何でもいいけど能力がいるんだよ。とりあえず、お金を稼ぐ能力とかさ。」
「それじゃつまりこういうことなのかい?」とぼくはやっと言葉に出して訊いた。「能力がなければ自由とか夢を求める資格がない。そういうことになるのかい?」
「そう。だって、その通りだろ?」
「しかしきみ・・・・・・、」


このあとまだ会話は続きますが、このへんにします。


そしてこの小説の中で私が一番衝撃を受けたのは、219Pの誰の子を妊娠したか、わからないの少女の台詞と、薫君の自問部分。
#「葦舟を成功させようって私は死にもの狂いだった、それは確かなの。だって、私みたいな馬鹿で弱い子を助けようって始めたわけでしょう?でも、無理だってことも分かってたの。私には贅沢すぎるって。あたしは馬鹿で、勉強が嫌いで、才能もないし、だからあたしみたいなのが生きていくには、おとなしくお行儀よくしている他ないって、よく分かってたのね。だって、人間が好き勝手に生きるってことは、頭が良かったり力があったり才能があったりする人だけ許される贅沢なんでしょう?そうじゃない人は、周りの言うことをよくきいておとなしくしている他ないんでしょう?人間はみんな同じだなんて嘘で、自由に生きる資格のある力のある人と、一生懸命おとなしくしていてそれでやっと生きていける人とがあるんでしょう?」
 ぼくは自分の中に、たとえ形だけでもとにかく一言反論をさしはさまなくてはいけないと思う何かを、そしてでもその一方では、その何かが実は極めて無責任で陳腐なものであると思う別な何かを、同時に感じとって黙りこんでいた。


この少女の問いかけは、「本当は書いちゃいけなんじゃないの庄司さん」って<連載>読んで思いましたね。「だから出版と内容変えたのね」って。
私の記憶もいい加減なもので、今回<出版>読み返してみて、書いてありますね。
この部分はどとらも同じ内容になっていました。
薫君が黙り込んだ答えは最期まで出てきません。
その辺は小説を自分でしっかりと読んで、
答えを見つけてねってことですかね。
どっちにしても「無責任で、陳腐」ではない答えを、
あきらめが悪い人は自分で見つけないといけませんね。
生きていく以上。


庄司さんファンは次作待っていますが、
庄司さん宿題残して、29年沈黙しています。
当時の青年たちも、もうおじさん・おばさんですね。
以前自分でもこもブログに書いていたのにすっかり忘れていました。
どうもこのシリーズは薫君視線になってしまって、作者の年齢忘れてしまいます。
庄司さん昭和12年生まれなので、今年69歳ですね。
青髭、出版時で40歳でした。
庄司さんこのまま沈黙を守ってしまうのでしょうか?


さて私の青髭は、2006-03-22にあるように著者のサイン本です。
このとき私と一緒にこの小説の舞台の1つである、
新宿の紀伊国屋にサインを一緒にもらいに行った友人が、言っていた感想を思い出しました。
「他の3作は読み終わったあと、なんか元気が出たけど、この本は元気が出なかった」
高校卒業後、彼には大学時代に1回あったぐらいです。
去年卒業名簿を見たときに、母校の理科(確か物理)の教師になっていました。
薫君シーリーズの気持ちを忘れないで、よい教師になっているのでしょうか。
色々な夢と希望を持った高校生を応援するのは良いけど、
挫折した時になんて言うのでしょうか?
彼は自分の「無責任で、陳腐」でない答え見つけたかな、
なんて思ったりしました。


この本出版時の朝日新聞中央公論が出した新聞広告載せておきます。

本の間にはさんでありました。
よく見えていない部分に書かれているのは、
#若者の夢が世界を動かす時代
 は終わったのだろうか。
 月ロケットアポロ11号成功
 の蔭で沈んでいった
 葦舟ラー号。
 熱気渦巻く新宿を舞台に、
 若者の夢と絶望、その挑戦と
 挫折の行方を追って、現代の
 青春の運命を描く力作!
(改行も広告にあわせました)
当時の私は、初版本かって、その本に関する新聞広告出たら全部切り取って版にはさんで保存していました。この本は全部で6枚あります。
今その中でサイン会の告知のある公告も出てきました。
#8月3日(水)午後3時より5時まで新宿紀伊國屋書店にてサイン会を開催いたします。
とのことで、これを見て私行ったんですね。


最期になりますが、
この本読んでいて、ポルノグラフィティの「アポロ」
思い出していました。
この曲の持っている力強さと勢いは、彼らのデビュー曲って言うのもあるのでしょうね。
彼らに「庄司薫って知ってる」って聞いてみたい気がします。
もし知っていてこの詩書いていのたなら、すごい。やるじゃん。
この曲を聴いたとき「ぼくの大好きな青髭」を思い出した庄司薫ファンはどのくらい、いたのでしょうね。
私は全く思い出せませんでした。
それよりも「僕らが生まれてくるずっとずっと前にはもうアポロ11号は月に行った」
って歌詞のほうが気になったものだった。