別子銅山

2006−5-12にチェルノブイリのこと書いていて、
思い出したので、書いてみます。
私は以前愛媛県別子銅山の跡、見に行ったことあります。
別子は住友グループの財の元となった山なのです。
そういえば住友金属に入社した友人が、新人研修で別子に行ったと言っていました。
別子銅山は1691年から1973年まで283年にわたり採鉱されたそうです。
昭和以前に掘った場所は、
既に登山道を登っていかないと見ることが出来ないような場所でした。


私はバイクで松山から行って、登山道の入り口でバイク置いて登り始めたのが、
PM3時ぐらいでした。
上り始めた所で、下山してきた登山者とすれ違って、
それから、私が下山するまで誰にも会いませんでした。
今は誰も住んでいませんが、
登山道の中に、最盛期には12000人もの人が住んでいたという跡を見ることが出来ます。
たとえば明治32年には、生徒数298名、教員7名が在籍した、小学校の跡とか。
神社、劇場跡とか見ることが出来ます。
今でこそ、こんな山の中ですが、当時は銅を運ぶための鉄道もあったようです。
とっても「栄枯盛衰」って言葉が頭に思い浮かびました。
鉱山の入り口の跡はいくつもありました。
その入り口のいくつかの解説に、
たとえば「安政○○年の事故で何人無くなっている」
とか書いてあって、チョット薄気味悪かったのを覚えています。
しかもその時間山にいるのは、どう考えても私1人ですので余計薄気味悪かったです。
登りきったところから見る瀬戸内海の景色はとてもきれいでした。
大自然独り占め」って感じでしたね。


興味をもたれた方、以下のページで写真付きで見ること出来ます。
http://www.niihama.info/kyubesshi/kyuubesshi.htm
http://syumatsunotabibito.web.infoseek.co.jp/mountain/besshidozan2004/besshidozan_2004.htm
http://syumatsunotabibito.web.infoseek.co.jp/mountain/besshi_higashinaru2005/besshi_higashinaru_2005.htm