世界報道写真展2006

supiritasu2006-07-20

昨日はPM5:30から横浜市港北区で仕事ありましたが、
それまで昼間空き時間ありました。
そこで、朝日新聞の地元販売店のプレゼント応募で当たっていた、
世界報道写真展2006を見に恵比寿ガーデンプレイスにある、
東京都写真美術館まで行ってきました。
平日の昼間遊ぶってのは私大好きです。
自営業の強みですね。
(その分、大変なことも多いです)
恵比寿といえばサッポロの記念館
(答え合わせ会でお世話になってる「テクノブレーン」さんと書くべきだったなかな)
ですが、港北区の仕事が最寄の駅が無いような場所のため、
雨の中、朝からバイクで移動していて、
恵比寿もバイクで行ったのでノンアルコールでした。
おそらく、20を過ぎて恵比寿に行ってビール飲まずに帰ったの初めてかもしれません。



さて写真展です。
報道写真だけあって、
災害・テロ・紛争などの写真が印象に残りました。
日本ではこのような写真普段目にすることありませんが、
死体が写っていたりかなり残酷なものもありました。
でも世界のこれが現実なのでしょうね。
今日の写真はポスターを写したものですが、
女の人の口元の手は、1才の子供の手だそうです。
近くで見るとしわしわで、子供の手には見えません。


美味しそうに水を飲んでいる写真があって、
写真の解説に、その水が砒素に汚染されているとの記述がありました。
砒素に汚染されていても、その水を飲まなければならない現実がそこにあります。
解説読まないと残酷さわかりませんでした。
写真は、迫力がありますね。
(説得力といってもいいかもしれません)
そこに写っているものは、現実です。
しかも、撮っている人も、その現実と向き合って同じ場所にいる。
そういう動かしがたい現実がありますね。


学校出てすぐ、最初の赴任地松山に住んでいた時に、
石鎚山(西日本では一番高い山です。標高1982m)
山頂で知り合ったアマチュアのカメラマンの方が言った言葉思い出しました。
「僕はそこにいれば誰にでも取れる写真を撮っている」
写真ってそこにいないと撮れませんよね。
そこにいること大切ですね。


それともう1つ、2006-03-10に書いたこと思い出しました。
報道写真展に登場するような写真なのに、
蔭の部分は殆ど目にしませんね、
今回の写真展でも首だけの写真もありました。
何でも見せれば良いわけではありません。
でも私たち人間の持っている、残虐さを隠しておいて良いのだろうか?
そう思います。
戦争の現実は凄まじいものがあります。
日本に暮らしていたのでは想像もできないでしょう。
そういう隠蔽体質(現実をきちんと報道しない)が認識の甘さを生み、
イラクで死亡した青年を生み出しているのかもしれません。
(彼を非難する気持ちはありません、私もイラクの現実どうなのか、自分の目で見てみたいです。)
世界で生きていくには、日本人は認識が甘いような気がします。
外交にしても、スポーツ(頭の中にはサッカーあります。野球はやりましたものね)
にしても情けない状態になる原因ではないのでしょうかね。
「もっと世界の厳しい現実を知らないといけない」そう思いませんか?


書き始めた時と、予想外の結末になっていますが、
報道写真展そんな現実に触れることできます。
ただし7月30日までです。