思想犯

長崎市長の事件、本人の自供前に思想的な面での犯罪ではなさそうな気配が濃厚になってきましたね。
思想犯は、本人からしてみると「正義の戦い」ということになります。
権力の側からすると、「自分達を排除」しようとする流れですので、非常に警戒が必要です。
今の日本だって、権力に反する勢力が武力によって前権力を排除して成り立っています。
手近な所では明治維新ですね。
江戸幕府という権力を、薩摩・長州を中心とした勢力が武力によって排除したわけです。
江戸の開城はそんなに流血騒ぎになることもなく、前権力の頂、徳川慶喜は維新後も寿命を全うしました。
これは世界的に見てもまれに見る平和的政権の譲渡だったのではないかと思います。
そうはいっても、政権譲渡後も江戸幕府に忠義を尽くした武士たちは、会津や函館などで敗れて多くの命が失われています。
そして生まれた明治政府の流れを汲む政府は、第2次大戦では自国の若者を戦争に巻き込み、
洗脳教育も行い、飛行機や潜水艦(魚雷)を使った特攻攻撃まで行っています。
日本から見たら、特攻攻撃ですが、今風に言えば自爆テロといえるかもしれませんね。
でも私たちの国の、実施した行為は戦争というお互いに攻撃しあうことを了解の上で行っているので、
テロとは違うのかも知れませんが、若い命が正しいと信じた道にしたがって失われていく事では共通点もあります。


今世界中にあるほとんどすべての国で、自爆行為はなかったかもしれませんが、
革命という権力の転覆と、新しい勢力の台頭はありましたね。
こういう争いは、正義と正義の戦いになってしまい、
多くの犠牲が伴います。
負けた方は、勝った方に悪者にされてしまいますね。
そうしないと勝った方も安心して権力の上に座れません。
そして勝った方の視点で見た歴史が残されていくわけです。
私たちが受けてきた戦後の歴史教育問題があるのかもしれませんが、
少なくとも江戸幕府が悪で、明治政府が善というふうには誰も思っていないように思います。
同じ日本人同士、江戸幕府の人たちにも、明治政府の人たちにもそれなりの正義があった。
そう感じることができているのではないでしょうか。
滅び行く江戸幕府の人たちを幕府側の視点で描いた、
壬生義士伝

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見たとき私は偉く感動しました。
でも明治政府の側が憎いと思いませんでした。
自分の信じるもの、それが「義」なのかもしれませんが、
それを負けることを承知で通していく姿は美しかったですね。
主演の中井貴一さんこの映画見るまで、な〜んとも思っていませんでいたが、
凄い役者さんだと思いました。
でも中井さん考えようによっては、人殺しですし、明治政府の側から見たら犯罪者ですね。
それでも、素晴らしかったり、美しかったり見えてしまうところ、
思想犯(中井さんの役に対して、こういってしまうの失礼な気持ちはあります)の怖いところです。


でそういう有能な方々を無駄に死なすことなく、
権力の交代が行われること。
お互いの思うところ、考え方の差異を、暴力に頼ることなく、言論で戦って、
勝敗を観衆に決めてもらうこと。
多くの尊い命の犠牲の基に選挙制度はできているのだと思います。
思想が違うものが、犯罪者としてあつかわれることなく、権力と戦えること。
そして血を流すことなく権力の交代があること。
選挙って素晴らしい制度だと思います。


ここから、チョット話変わりますが、
何時も書いているように*1、2大政党制は国民の多種多用な思いを代弁できる制度では無いと思います。
自民と民主対立軸は少なくなってきているように感じます。
何も無理して対立する必要も無いのですが、
党として意見をまとめようとすると、党内でも個人の意見が埋没してしまいますね。
私は多用な意見を持った人が当選できる全国区+複数の人が1つの選挙区で当選できる制度で、
政党が党員を党議拘束しない。それが理想です。
今の流れからすると逆行してますね。


明日に続く。

*1:たぶんこのブログ内で「小選挙区」「全国区」「党議拘束」このあたりのキーワード結構ヒットすると思います