野茂さん(その2)

チョット他のこと書いていて、タイムリーとは言えませんが、野茂さん引退しましたね。
朝日も19日の社説で書いていました。
asahi.comから引用しておきます。
http://www.asahi.com/paper/editorial20080719.html#Edit2

野茂投手引退―トルネードが開いた道
腕っぷし自慢の大リーガーをきりきり舞いさせたトルネード(竜巻)投法はもう見られないのか。多くの人がそんな感慨にひたったに違いない。

 太平洋をはさんで日米の野球界を席巻した野茂英雄投手が、現役引退を表明した。

 野茂投手が海を渡ったのは95年だった。胸元に食い込む速球と大きな落差のあるフォークボールで旋風を巻き起こし、並み居る米国の剛腕を抑えて球宴で先発した。13勝6敗で新人王、奪三振王のタイトルまでさらった。

 日本ではこの年、阪神大震災に始まり、オウム真理教による地下鉄サリン事件バブル経済の崩壊による金融機関の破綻(はたん)が相次いだ。

 そんな中で、衛星放送で生中継された野茂投手の活躍は、人々の心をなごませ、励ました。「暗い世相に沈む日本人の心に唯一明るい灯を点じた」との理由で菊池寛賞を受賞したのもうなずける。

 見逃せないのは、野茂投手の活躍が米国での日本人のイメージを大きく変えたことである。

 野茂投手は「日本」を背負って米国へ向かったわけではない。むしろ、日本の伝統的な根性野球と管理主義に疑問を投げかけ、追われるように日本球界を去った。

 マイナーリーガーの扱いで、何のつても持たず、徒手空拳での挑戦だった。味方チームの打撃が振るわず敗れても、寡黙で謙虚さを失わない。そうした姿勢が、一度見たら忘れられない独特の豪快なフォームと合わせて米国の人々の心を揺さぶった。

 米国人からすれば、意外だったのではないか。80年代後半に金にあかせてニューヨークやハワイの不動産を買いあさり、集団的な行動を好む従来の日本人像とはまったく違ったからだ。

 当時のクリントン大統領は「日本の最高の輸出品」と呼んだ。それだけ野茂投手の姿が鮮烈だったのだろう。

 野茂投手は日米合わせて20年近いプロ生活で、計201勝を挙げた。引退は一つの時代の終わりだが、彼は記録以上のものを残した。

 イチロー松井秀喜松坂大輔らスター選手が後に続いた。日本のプロ野球が空洞化したとの見方もあるが、大リーグが身近になって、中学生や高校生の野球人気は盛り返している。

 米国からは選手だけでなく、監督も続々とやって来るようになった。そうした活発な人材交流も、野茂投手の開いた道があったからだろう。

 野茂投手はこれまでに米国でマイナー球団に出資し、日本ではクラブチームをつくっている。自らを超える個性派を育て、大リーグに対抗できるような魅力あるリーグを日本に再構築する。そんな夢に向かって、さらに歩みを続けてもらいたい。

私も今年に入って、野茂さんがカンザスシティー・ロイヤルズとマイナー契約したときに書いています。
2008-01-10野茂さん - なんやかんや
その後メジャー復帰して投げた時は、私も含めて感動した方多かったのではないでしょうか?
40人枠から外れた、時は残念でしたが、
「日本に復帰して投げるかな?」
そんな期待、持ちました。
投げたい気持ちを持ちながら、引退の選択されました。
残念な気持ちすごくありますが、野茂さんの選択は尊重しないといけません。
引退後どのような設計をされているのか、ご本人もまだはっきりとしていないのかもしれませんが、
日本に帰国したら、どんな形にせよ投げている姿を見てみたい。
それが私の素直な気持ちです。
もちろんご本人が、完璧な投球ではないので、見せたくない。(野茂さんなら言いそうな気もします)とおっしゃるのであれば、見なくてもよいです。


帰国して、報道関係者にもみくちゃにされそうな感じもしますが、
野茂さんが、野茂さんらしく生活できるよう、私たちのヒーローを大切にしたい。
そう思います。
で、やっぱり野茂さんはすごい!
そんな結論です。