「街と、その不確かな壁」の謎

2008-01-03 村上ワールド - なんやかんや
で書いた、村上春樹さんの本当の3作目の小説、
街と、その不確かな壁」(1980年『文學界』9月号掲載)
のことがその後、気になって仕方がありません。
何が気になっているかといいますと、
以前私が書いたこと修正しなくていけないからです。
その部分引用します。
2006-07-12 芥川賞 - なんやかんやより、

春樹さんは、デビュー作ノミネートで落選、
2作目も落選、
3作目は長編書いてしまったので、
芥川賞の対象になりませんでした。

長編が芥川賞の対象にならないこと、
ダカーポNO587号29Pより
引用しています。

「3作目が原稿用紙100〜200P程度の作品だったら、受賞していたのでは?」

この3作目「羊をめぐる冒険」をさしています。

村上さん自身も「走ることについて語るときに僕の語ること」の中でも、この作品が3作目という書き方です。
実質3作目の「街と、その不確かな壁」については全く触れていません。
この作品上記「原稿用紙100〜200P程度の作品」になると思います。
しかし、この作品芥川候補作にもなっていません。
この作品が掲載された「文學界」の発行元は、芥川賞を主催している「文藝春秋社」です。
ウィキペィデアでは、街と、その不確かな壁 - Wikipedia

1973年のピンボール芥川賞候補となったことにより、その受賞第一作として発表することを意識して書いたと、村上春樹自身がインタビューで明らかにしている[要出典]。

というように書かれています。

何故この作品が芥川賞の候補作になる条件を備えているにもかかわらず、選からもれた理由気にかかります。
芥川賞候補になること村上さん拒否したのでしょうか?
それとも、候補にならないくらいのレベルなのでしょうか?
どちらにしても、芥川賞の受賞を拒否するかのように3作目に長編を書いたのではなく、
受賞第一作とならなかったにせよ、3作目までは村上さん芥川賞受賞対象になるような長さの小説を書いていた事実がありますね。
時期から考えると、前2作と同じようにお店閉めてから執筆、という時代に「街と、その不確かな壁」は書かれています。
完全主義の村上さんこの作品の出来に納得できなくて、
「小説専業で生きて納得できるものを書きたい!」
と思わせた重大な作品なのかもしれません。
その後書いた実質4作目の「羊をめぐる冒険」は最初の2作と同じ、ジェイ・鼡・僕が登場人物として出てきます。
そしてその後、「街と、その不確かな壁」を発展させた、
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
を書くことのなるわけです。
でも版元、文藝春秋ではなくて、新潮社からの書き下ろしになっています。
この作品、その後の小説家としての村上さんにとって重要なキーポイントとなった作品かも知れませんね。
でも事実かどうか確認していませんが芥川賞新人に出す。というのは納得できますが、長編には出さないって言うのは変な感じです。
確認しました。芥川龍之介賞 - Wikipedia
こんな記述見つけました。

井上光晴の『地の群れ』が、長編であること、既に新人ではないことを理由に落選した際、選考委員の石川淳は、選評で「いずれの理由も納得できない」と怒りを表明した。

原稿用紙何枚から長編なんでしょうね?

ついでに村上さんが芥川賞候補になったときの受賞作と候補作調べて見ました。
http://uraaozora.jpn.org/akuta81.html
選評も出ています。村上さんについて書かれた部分のみ引用します。

第81回芥川賞受賞作−昭和54年上半期−

重兼芳子「やまあいの煙」 初出「文学界」(昭和54・3)
青野聰「愚者の夜」 初出「文学界」(昭和54・6)

◆候補作

立松和平「閉じる家」
村上春樹風の歌を聴け
北沢三保「逆立ち犬」
増田みず子「ふたつの春」
玉貫寛「蘭の跡」
吉川良「八月の光を受けよ」


選評
丸谷才一
 村上春樹さんの『風の歌を聴け』は、アメリカ小説の影響を受けながら自分の個性を示さうとしてゐます。もしこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ。


滝井孝作
 村上春樹氏の『風の歌を聴け』は、二百枚余りの長いものだが、外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが……。このような架空の作りものは、作品の結晶度が高くなければ駄目だが、これはところどころ薄くて、吉野紙の漉きムラのようなうすく透いてみえるところがあった。しかし、異色のある作家のようで、私は長い眼で見たいと思った。


吉行淳之介
 今回、票を入れた作品はなかった。しいてといわれれば、村上春樹氏のもので、これが群像新人賞に当選したとき、私は選者の一人であった。しかも、芥川賞というのは新人をもみくちゃにする賞で、それでもかまわないと送り出してもよいだけの力は、この作品にはない。この作品の強味は素材が十年間の醗酵の上に立っているところで、もう一作読まないと、心細い。


遠藤周作
 村上氏の作品は憎いほど計算した小説である。しかし、この小説は反小説の小説と言うべきであろう。そして氏が小説のなかからすべての意味をとり去る現在流行の手法がうまければうまいほど私には「本当にそんなに簡単に意味をとっていいのか」という気持にならざるをえなかった。


大江健三郎
 今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向づけにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた。


次に候補になったときです。
http://uraaozora.jpn.org/akuta83.html

◆第83回芥川賞受賞作−昭和55年上半期−

該当作品なし
◆候補作

吉川良「神田村」
村上節「狸」
尾辻克彦「闇のヘルペス
飯尾憲士「ソウルの位牌」
丸元淑生「羽ばたき」
村上春樹「一九七三年のピンボール
北沢三保「狩人たちの祝宴」


選評
丸谷才一
 村上春樹さんの中篇小説は、古風な誠実主義をからかひながら自分の青春の実感である喪失感や虚無感を示さうとしたものでせう。ずいぶん上手になつたと感心しましたが、大事な仕掛けであるピンボールがどうもうまくきいてゐない。双子の娘たちのあつかひ方にしても、もう一工夫してもらひたいと思ひました。


大江健三郎
 銓衡のなかばで、議論は尾辻克彦『闇のヘルペス』、村上春樹『一九七三年のピンボール』、丸元淑生『羽ばたき』に集中された。僕はこれら三篇のいずれが入賞しても不満でないと考えていたが、またそれらいずれにも積極的に賞へと推すことにはなにか不十分な思いが残るのでもあった。


吉行淳之介
 村上春樹「一九七三年のピンボール」は、この時代に生きる二十四歳の青年の感性と知性がよく描かれていた。主人公は双生児の女の子二人と同棲しているのだが、この双子の存在感をわざと稀薄にして描いているところなど、長い枚数を退屈せずに読んだ。尾辻克彦「闇のヘルペス」も好評を得た前作「肌ざわり」に劣らない出来だった。この人は、前途がずいぶんと愉しみだとおもったが、賛成票の数が足らなかった。


中村光夫
 読者を弄んでゐるといふ感じは「一九七三年のピンボール」にも共通します。ひとりでハイカラぶつてふざけてゐる青年を、彼と同じやうに、いい気で安易な筆づかひで描いても、彼の内面の挙止は一向に伝達されません。現代のアメリカ化した風俗も、たしかに描くに足る題材かも知れない。しかしそれを風俗しか見えぬ浅薄な眼で捕へてゐては、文学は生れ得ない、才能はある人らしいが惜しいことだと思ひます。


遠藤周作
 予想通り「羽ばたき」「闇のヘルペス」「一九七三年のピンボール」が最後まで残った。私は「羽ばたき」を支持したが、それは佳作という意味で当選作としてではなかった。この人は前作「秋月へ」よりも一段と今度の作品がうまくなっている。「秋月へ」はストレート・ボールの気味があったが、今度はカーブやナックルを使えるようになったという感じさえした。


井上靖
「一九七三年のピンボール」は、新しい文学の分野を拓こうという意図の見える唯一の作品で、部分的にはうまいところもあれば、新鮮なものも感じさせられるが、しかし、総体的に見て、感性がから廻りしているところが多く、書けているとは言えない。

こんなこと書いても、今では村上さん芥川賞なんか超越した作家になってしまいましたね。
むしろ、賞を出さなかったことの方が問題になるくらいです。
選考委員の方たちの悩む様子もわかる気がします。
村上さん感性が違います。
大げさかもしれませんが、日本文学は村上以前・以後って将来なるかもしれません。
個人的には、庄司薫さんが村上さんぐらい書いていれば、庄司以前・以後あったかも?
でも、庄司さんの場合どちらにしても作品を作り続ける意思が無かったように感じます。
最初から撤退を意識していたといって良い感じです。
村上さんは、「街と、その不確かな壁」と「羊をめぐる冒険」を執筆する間で、
これからも書き続けること決意されていますね。



まだ読んでいませんが、昨日「街と、その不確かな壁」正規の方法で入手してきました。
横浜紅葉ケ丘の神奈川県立図書館
で1980年『文學界』9月号閲覧申し込んで、コピーの申請もしてきたわけです。
文學界』は、野毛の横浜市立図書館でもバックナンバー置いていません、正規方法での入手大変かもしれませんね。
今日にでも読んでみます。