チッソ分社化(その2)

7月7日の朝日・朝刊社会面(手元の新聞で38面)に、

69年以降世代は対象外
水俣病救済法案、症状200人

の見出しありました。
ほぼ同じ内容asahi.comから引用します。
アピタル(医療・健康・介護):朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/health/news/TKY200907060428.html

水俣病救済法案、69年以降世代は対象外 研究者ら懸念
 水俣病の原因企業チッソが有害な工場排水を止めた後の1969年以降、国は「新たな患者発生はない」としてきたが、現地の熊本県水俣市の医師たちの調査で、69年以降に生まれた世代に両手足のしびれなど水俣病の症状がある人がいる。水俣病問題の最終解決を目指す未認定患者救済法案では、少なくとも200人以上いるこの世代が対象から外れる。研究者らは潜在的な患者が相当数いることから同法案は全面解決にはつながらないとして、国に未認定患者を対象にした広範囲な健康調査を求めている。

 国は、患者認定や医療費が支給される事業など水俣病の救済制度の対象から、この世代を外している。200人は認定申請中の人で「申請はできるが、認められることはない」(環境省)という。

 熊本大の水俣病研究班員だった藤野糺(ただし)医師や現地での診察歴が長い高岡滋医師は05年6月〜08年4月、チッソの工場排水が停止された68年5月から86年5月までに水俣市と周辺で生まれ育った男女40人を詳しく診察した。

 その結果、37人に手足の先や全身の感覚が鈍くなったりしびれたりする症状や、視野が狭くなるなど水俣病によくみられる症状があった。29人を「水俣病」、8人を「水俣病の疑い」と診断し、6月に中国であった水銀国際会議で発表した。これだけ、まとまった数の調査結果が出たのは初めて。

 高岡医師は「胎児期と出生後の両方で(水俣病の原因である)メチル水銀の影響を受けたのではないか」とみる。

 胎児性、小児性水俣病に詳しい熊本学園大の原田正純教授も、69年以降生まれの患者を複数確認しているという。

 チッソ水俣工場が工場排水を停止したのは68年5月18日。国は91年、中央公害対策審議会の答申に基づき「水俣病発生レベルの水銀暴露は68年まで」と結論づけた。

 その根拠として、答申は住民の頭髪や、胎児のへその緒の水銀値が一般の人とあまり変わらない、とするデータを示した。だが、それをはるかに上回る値を示す被害者がいたという研究データも見つかっている。

 答申には「科学的な結論とは言い難い」という批判があり、前国立水俣病総合研究センター所長の衛藤光明氏も「68年で汚染が一気に低くなるわけがない。当時、環境庁から聞かれたので、おかしいと言った。75年ごろまでは胎児性水俣病があってもおかしくないと思う」と指摘する。

 一方、環境省の原徳寿・環境保健部長は「水俣地域には心理的バイアスがあって(体の不調があるとそれが水俣病だと)思い込む人がいるかもしれない。今から住民健康調査をしても、過去の汚染データがないのだから、メチル水銀の暴露との因果関係は分からない」と反論した。

先に引用全部してしまいます。
さらに昨日の朝日夕刊1面左上に、

水俣病救済法 成立

の見出しあります。
これもasahi.comで、ほぼ同じ内容引用します。
http://www.asahi.com/politics/update/0708/TKY200907080104.html?ref=any
http://www.asahi.com/politics/update/0708/TKY200907080104.html?ref=any

水俣病救済法が成立 第2の政治決着、対象は2万人超2009年7月8日10時54分

 手足のしびれなどの症状がありながら水俣病と認定されない被害者らを救済する特別措置法が8日午前、参院本会議で賛成多数で可決、成立した。村山政権下の95年の政治決着に続く「第2の政治決着」で、一時金などが支給される対象者は2万人以上になるとみられる。

 救済対象者は、国の認定基準を満たした「患者」と区別し「水俣病被害者」と位置づけた。95年決着と同じ手足の先ほどしびれる感覚障害か、全身性の感覚障害、視野が狭くなるなど新たに加えた四つの症状のうち一つでもある人。自民、公明の与党が150万円、民主党が300万円とした一時金の額は、被害者団体などとの協議に委ねた。

 04年の最高裁判決で、対策を怠った国が被害を拡大させたと認められたことを受け、政府の責任とおわびを明記。また、国から金融支援を受け、熊本県への多額の借金がある原因企業チッソが、患者への補償金などを確保するため、補償会社(親会社)と事業会社(子会社)に分社化できる仕組みを盛り込んだ。

 これまでに、救済を受け入れる姿勢を表明している被害者は熊本、鹿児島の約4千人。一方、熊本、新潟の約2千人が「分社化は加害者の責任逃れを許すことだ」と反対し、訴訟を続ける意向だ。

さらに、新聞では見落としたかもしれない、asahi.com発見。
http://www.asahi.com/national/update/0708/SEB200907080002.html
http://www.asahi.com/national/update/0708/SEB200907080002.html

水俣病、千人規模調査へ 69年以降出生者を念頭2009年7月8日7時24分
 水俣病未認定患者の救済問題で、民間医師らが9月、熊本県水俣市など水俣病が発生した不知火海沿岸地域で、千人規模の住民健康調査を実施する。国が「新たな水俣病の発生はない」としている69年以降に生まれた若い世代の被害の実態などを明らかにするのが目的だ。

 7日、水俣市では、七つの患者団体や熊本県民会議医師団などでつくる「不知火海沿岸住民健康調査」の実行委員会が発足した。水俣地区を始め、全国の内科や神経内科を中心とした医師100人に参加を呼びかける。

 委員長には、長く水俣病患者を診察し、著作でも広く水俣病を知らしめた熊本学園大の原田正純教授が就任。熊本大のかつての水俣病研究班員で原田教授とともに先駆的な研究をしてきた藤野糺(ただし)医師、現地での診察歴が長い高岡滋医師らと、具体的な診断方法を今後詰めていく。

 調査は9月20、21日。不知火海沿岸域の住民千人が目標だ。参加に名乗りを上げる開業医らの病院や地区の公民館などを拠点に診察する。

 実行委員会に加わる全日本民主医療機関連合会の湯浅健夫・事務局次長は7日、東京で被害者らが開いた集会で、加害企業チッソが有害な工場排水を止めた後の69年以降に生まれた人たちにも、患者が相当数いるとみられることを指摘。「救済されなければならない人がまだまだたくさんいる。これで幕引きさせるわけにはいかない」と訴えた。

 実行委員会は「69年以降の若い世代の問題などを念頭に置いているが、健康不安を抱える人に幅広く足を運んでほしい」と呼びかけている。

以前書いたリンクです。
2009-07-02 チッソ分社化 - なんやかんや
引用多すぎて整理がつきませんね。(^_^;)


年度を追ってまとめてみます。
56年、水俣保健所が病気発生を確認
いったい何時から水銀が排水に混じっていたのか?
ウィキペデア調べました。
水俣病 - Wikipedia
今はまだ見ること出来ますが、

現在、この項目の一部の版または全体について、削除の手続きに従って、削除が提案されています。

とのことです。
何時から?の分部引用すると。

1959年に有機水銀説が熊本大学や厚生省食品衛生調査会から出されると、チッソは「工場で使用しているのは無機水銀であり有機水銀と工場は無関係」と主張し、さらに化学工業界をあげて有機水銀説を攻撃した。チッソ工場の反応器の環境を再現することで、無機水銀がメチル水銀に変換されることが実験的(理論的ではないことに注意)に証明されたのは1967年のことであったが、排水と水俣病との因果関係が証明されない限り工場に責任はないとする考えかたは、結果として大量の被害者を生みだし、地域社会はもとより、補償の増大など企業側にとっても重大な損害を生むもとになった。

原因の特定が困難となった要因としては次の事実もある。それは、「水俣病の科学」でも指摘されていることであるが、チッソ水俣工場と同じ製法でアセトアルデヒドを製造していた工場は国内に7カ所、海外に20ヵ所以上あり、水銀を未処理で排出していた場所も他に存在した。しかし、これほどの被害をひき起したのは水俣のみであり、かつ終戦後になってからである。この事実が有機水銀起源説への化学工業会の猛反発を招き、発生メカニズムの特定をとことんまで遅らせることとなった。

チッソ水俣工場では、第二次世界大戦前からアセトアルデヒドの生産を行っていたにもかかわらず、なぜ1950年過ぎから有機水銀中毒が発生したのかは、長期にわたってその原因が不明とされてきた。現在でも決定的な理論はまだ出現していない[3]。

いまだに何時からが特定できていないようです。
余談ですが、アセトアルデヒドって二日酔いの原因のヤツですよね。(^_^;)

国は68年に水俣病を「公害病」と認定した。
チッソ水俣工場が工場排水を停止したのは68年5月18日。
とありますので、

 約20年前後被害が起こる状態で水銀が排水に含まれていた。
ですので、排水を止めたからといって、そんなにすぐ患者が増えなくなるとは思えません。
ただし、汚染された、魚介類はさすがに食べてはいないでしょうね。
どっちにしても、母親から胎児に影響、
69年以降もありそうです。
74年の公害健康被害補償法の施行により、公害病患者の保証の仕組みが整った。
でも、2009年の現在でも問題は解決していませんね。
患者さんも、様々な保証を受けている人と受けていない人の線引きはされますが、
その基準が、国や会社側の都合で沢山あるようです。
今回の、水俣病救済法成立は、チッソ分社化も盛り込まれているようなので、
今回の保証が最後の予定なのだろうか?
それでも、保証されない方たちは残りそうですね。
訴訟はまだ続くようです。
半世紀以上にわたっているために、加害者も、被害者も高齢化が進んで事実を証言できる方が少なくなっていますね。
保証、という問題に特化しなくても、国と企業が何が出来て、何が出来なかったのか?
はっきり検証して欲しいですね。
この国の、こいういウヤムヤ感って、
再発防止のための教訓に活かせないと思います。
保証云々より、被害者が出ない事が何よりなのですから。