取調べ

今日の朝日・朝刊の「天声人語」引用します。*1

パスカルの言に〈時は苦しみや争いを癒やす。それは人が変わるからである〉がある。しかし、歳月が苦しみや争いを際立たせることもある。20年近い時は、2人の男性に苦い再会をもたらした▼「足利事件」の再審公判で、ぬれぎぬを着せられた菅家利和さん(63)を取り調べた元検事、森川大司さん(62)が証人として出廷した。謝罪を求める菅家さんに「深刻に受け止めています」を繰り返す。すげない応答は、検察組織が「取り調べに問題なし」としているためだろう▼調べの録音テープも流された。両者の立場は今と逆である。無実を訴え始めた菅家さん。検事はDNA鑑定の結果を突きつけ、たたみかける。「どうなんだい。ずるいんじゃないか、君」「なんで僕の目を見て言わないの、そういうこと」▼返答を促す検事がたまに発する「うん?」「ん?」が効いている。口調は穏やかでも、力関係に天と地の違いがある。短いが鋭い矢は菅家さんの心を刺し、口をこじ開けた。「ごめんなさい。勘弁してくださいよお」▼涙ながらに絞り出したのだろう。身に覚えなき殺人を何度も「自白」させられる悔しさはいかばかりか。否認から「再自白」に至るやりとりが当時の法廷で明らかにされていたら、と思わずにはいられない▼調書には、長い沈黙も「ん?」も嗚咽(おえつ)も残らない。調べの様子がそのまま記録されていれば、「自白の舞台裏」が見えてくる。菅家さんの冤罪から、教訓や反省以上のものを残したい。残さないと、鉄格子の中に消えた17年半が本当の無駄になる。

菅家利和さんの、再審公判始まっていますね。
新聞で、取調べのテープの内容活字で読んでも実際の取調べの様子はわかりにくいです。
天声人語にもあるように、

返答を促す検事がたまに発する「うん?」「ん?」が効いている。

こういう台詞は、活字で読むのと、音声で聞くのでは威圧感が違いますね。
今日のタイトル「森川大司さん」と個人名にするのはやめました。
森川さん冤罪を生んだ検事として矢面に立っていますね。
でも、他の検事さんが担当しても同じ結果になった可能性大きいと思います。
私が、もしなっていたとしても、*2
同じ結果になっている可能性は否定できません。
DNA鑑定の結果が、今ほど信憑性が疑われていなければ、やっぱり菅谷さんを犯人と決め付けて自白を促がすことに集中してしまいそうです。
東京地検特捜部が、大人数で小沢さん1人にかかりきれるのと違って、
普通の事件だと、検事さん1人で事件を何件も抱えているのでしょうね。
その中で、早く仕事を済ませなければという気持ちになっていくのかもしれません。
まして、検察という組織の中で、DNA鑑定の結果に疑問をもち、菅家さん無罪かも?
って1度自白した本人の供述を覆していくことは、森川さん自身もすごく勇気がいることで、なかなかできることではないと思います。
他の検事さんでもできない人がほとんどでしょうね。
でも、1人の人生を裁くのですから、組織の圧力とかをはねのけて、もっと真実に目を向けて欲しかったです。
「検察が、効率を優先させて真実に目を向けようとしない」
こんな事実は恐ろしいです。

謝罪を求める菅家さんに「深刻に受け止めています」を繰り返す。すげない応答は、検察組織が「取り調べに問題なし」としているためだろう

検察組織からしたら、この取調べ問題なしとしたい気持ちわからなくはないですが、
この件は、森川さん個人としてチョット問題ありで、
検察組織としては、「こういう取調べが行われる可能性が今後もある」ということが否定できない以上、菅家さんの長年の犠牲に報いるためにも大問題とするべきでしょう。
個人攻撃はあまりしたくないのですが、
森川さん、ここは検察組織がたとえどうあれ、「個人として」菅家さんの心に伝わるように謝る必要があると思います。
森川さんの個人の良心が感じられないような応答は、森川さんがいて、森川さんが守られていると信じている、検察という組織にも不信感をもたらせますよ。
この件は、森川さんの個人攻撃に終始してしまう事は良くないですね。
検察という組織の問題として、
検察官個人個人が、犯罪を犯しているかもしれない人へ、どのように接しなけらばいけないか?
という基本姿勢を考えるための礎とするべきです。
冤罪を防ぐための、組織改革も必要でしょう。
担当検察官だけが、代表して裁判に出てそれで済ませてしまう問題ではないと思います。


話し変わって、小沢さん、検察の問題点沢山出てくると、このタイミングは良い感じかもしれませんね。
でも、それとこれは別!
完全な冤罪とは考えにくいです。
それは検察の思い違いもあるでしょう、公人である小沢さんは優秀な弁護士を隣に置いてもいいから、検察と戦うのであれば、国民が納得できるような、ご自身の問題になってる分部の公開をして欲しいです。


#後述
今日のテーマ、昨日の新聞で菅家さんのテープ内容書かれた記事読んでいて思いつきました。
今朝書くときに、思うことと同じような事、天声人語に出ていたので、引用しました。
朝そのまま出かけたのですが、出先で朝刊読んでいてビックリ!!
社説の内容が、今日の「なんやかんや」とそっくり。(^_^;)
私、社説読んでから書いていませんよ。
引用しますね。

足利事件再審―この教訓をくみ尽くせ 「ずるいんじゃないか、君」「なんで僕の目を見て言わないの」。DNA型鑑定をもとに検事が追及する。

 「ごめんなさい。勘弁してくださいよお」。泣きながら否認を撤回し、被告は再び犯罪を告白する。

 栃木県足利市で起きた女児殺害事件の犯人とされ、無期懲役で服役中に釈放された菅家利和さんに対する再審公判で、取り調べの様子を記録した録音テープが再生された。

 身体への拷問によってではなく、精神的に追いつめられて「自白」したことがわかる。無実の主張が否定され続け、ついに緊張の糸が切れて犯人を演じる。これこそが、事件を犯してもいないのに、うその自供をしてしまう典型だと心理学者は指摘する。

 自分がもし菅家さんの立場だったらと、背筋が寒くなる、恐ろしい事実である。

 うその自供と犯行現場の状況には食い違う点もあった。検事自身が当時、菅家さんの「自白」に不自然さを感じている様子も録音からうかがえる。

 ところが、検事は再び菅家さんを「自白」させてしまう。後に覆された精度の低い当時の鑑定で、菅家さんのDNA型と被害者の着衣に付いていた体液が一致していたこともあった。

 しかし、自白偏重の捜査手法に頼るばかりに捜査官が自縄自縛に陥り、ほかの事実に十分目を配ることができなかったのではないか。その結果、冤罪を生むだけでなく、真犯人をも逃してしまった。

 録音テープに登場した当時の検事は証人として出廷し、「犯人でなかったことを非常に深刻に受け止めている」と述べたが、菅家さんが求めた謝罪はしなかった。

 だがこれは、一人の担当検事だけに責任があるのではなく、捜査当局全体の欠陥が、冤罪と捜査の失敗を生んだととらえるべきだろう。

 警察と検察は、自白に頼る意識を捨て、客観的な証拠を集めて犯罪の立証をめざすという捜査の基本を徹底してもらいたい。密室での取り調べを全面的に録画録音する「可視化」は、そのための第一歩だ。

 全面可視化を公約としてきた民主党内には、ここにきて可視化法案の国会への早期提出、成立をいう動きがある。だが、もしこれを小沢一郎幹事長の資金問題をめぐる検察への圧力に利用しようとするなら、まったくの筋違いである。

 捜査当局は取り調べの一部を可視化したが、「事件の真相解明を難しくする」と全面実施には抵抗が強い。

 しかし、意識と制度の改革がなければ、捜査と裁判への国民の信頼を失い、日本の治安の根幹が揺らぎかねない。足利事件捜査の大失敗はそれぐらい深刻に受け止めるべきものだ。

趣旨もそっくり、小沢さんまで出てきます。
プロの文書と2つ並べるの、辛いものがありますが「朝日の社説のマネジャン」って思われるのも辛いので載せました。
この社説読んでしまうと、私の言いたい事ほぼ全部、的確に書かれていて、今日の「なんやかんや」別のテーマで書いていたかもです。(^_^;)

*1:天声人語、web上で3ヶ月の限定公開のようなのでリンクつけるのやめておきます

*2:検事になれる可能性はほとんどないですね