オキナワの少年

東峰夫さん「オキナワの少年」読みました。

オキナワの少年 (文春文庫 ひ 3-1)

オキナワの少年 (文春文庫 ひ 3-1)

この作品、第66回(1971年)芥川賞作品です
芥川賞の選評リンクしておきます。
http://uraaozora.jpn.org/akuta66.html
http://uraaozora.jpn.org/akuta66.html
受賞、沖縄の日本復帰前年ですね。
映画化もされています。
goo映画: Movie × Travel — 旅のような映画 映画のような旅
http://movie.goo.ne.jp/movies/p17358/story.html
あらすじを、読むと、小説の内容とすこし違いました。
小説は、主人公の少年の眼から見た復帰前の沖縄が書かれていて、
舞台としては、沖縄以外出てきません。
東峰夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B3%B0%E5%A4%AB
東さんの略歴読むと、
映画のほうは、原作に作者の東峰夫さんご自身の生活もフィクションとして加わっているようです。
この作品も読むの2回目です。
実家にあると思いますが、昨日と同じように、芥川賞全集から読みました。
一度目に読んだ記憶が残っていませんでした。
昨日書いた、「カクテル・パーティー」は、「私」も庶民というより、知識層。お金もある感じでした。
この作品は、復帰前の一般の沖縄の方たちの活気ある日常が書かれています。
食べるため、生活のため、そんな力強さ感じます。
米兵に体を売る女性たちも出てきますが、
悲惨というより、生きていくための力強さ感じます。
少年の家の生業が、お酒も出して、女性もいて。
そんな感じです。


上記ウィキペディアの東さん読んでいると、
フィリピンのミンダナオ島に生まれ。

高等学校琉球・沖縄史

高等学校琉球・沖縄史

この本によると。
大正末期から昭和初期沖縄の人口60万人程度で、7割が農民、その多くが耕地面積が5反未満の零細農民。
この時代、景気の低迷と、台風・干ばつで、米・芋も口にすることが出来ず。調理をあやまれば命をもうばうソテツの実や幹を常食とするような窮状だったようです。
この時代、沖縄の日本全体の海外移民に占める割合1割を占めていたようです。
ウィキペディアから東さんのご自身のこともう少し引用します。

嘉手納基地に勤務するも1959年に辞職。看板屋見習いやブロック工などの職を経て1964年4月に集団就職で上京し、東京神田の製本屋に住み込みで勤務するが、読書や小説執筆の時間が取れないために退職し、路上生活を送ったこともある。その後、塗装会社や運送店などで日雇いのアルバイトを続け、休みの合間に小説を執筆。1971年に『オキナワの少年』で第33回文學界新人賞を受賞し、同作品で第66回(1971年下半期)芥川賞を受賞。丸谷才一に見込まれ将来を嘱望されたが、『オキナワの少年』を継続せよとの編集者の要求に応じることを拒み、33歳から48歳までの15年間で4作という寡作ぶりを貫き、1981年に『大きな鳩の影』を刊行後、原稿の注文を失って表舞台から完全に姿を消す。

東さんの最近の(といっても、2004年6月ですが)インタビュー記事発見したのでリンクしておきます。
たま出版・作家インタビュー1:東峰夫
http://web.archive.org/web/20070317193113/http://www.tamabook.com/interview/2004/01/contents.html
東さんと同じようなご苦労を、沖縄の方たちもされていることでしょう。
知らん顔をしないで、しっかり向き合うこと。
そうしようと私は思っています。
私、日本国内で、まだ行ったことの無い都道府県、
沖縄だけです。
最低でも1週間ぐらい石垣・宮古含めて行ってみたいです。


私、読んでいませんが、復帰後の芥川賞受賞している沖縄の方紹介して終わりにします。芥川賞って歴史があるので、調べやすいです。
114回(1996年)又吉栄喜さん「豚の報い」

豚の報い (文春文庫)

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映画化されていました。崔洋一監督
豚の報い [DVD]

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117回(1997年)目取真俊さん「水滴」
水滴 (文春文庫)

水滴 (文春文庫)