言った言わないは不毛

菅さんが、
原発周囲10年、20年住めない」
発言したしない、
13日の松本健一内閣参謀参与の発言が元で、問題になりました。
結局双方が否定しています。


今日の朝日・朝刊4面もこの問題取り上げていました。
この言葉、ストレートに表に出ると問題ありますが、
その程度、もしくはそれ以上の場合も時には想定した検討はされていないとおかしい。
私はそう思います。
最悪の自体を想定して、腹を括って対処する事、
昔、宮崎学さんの何かの著書で読んだ事あります。
今、これ必要です。
実際行われていると信じています。
最悪の想定、今は地震そのものより、原発になっていますね。
これどうなるのでしょう?
東電の方や、専門家の方もはっきりとは答えられない。
今は、そんな状況だと想像します。
今最悪の事態、想定はできますが、もたらす不安大きいので発表ためらわれるのは想像できます。
そうならないために、今現場で放射能の危険の元で作業している方たちがいらっしゃいますね。
今やっている、努力が全く報われない最悪の事態。
誰も考えたくないですが、それも完全否定はできない状況もありますね。
うまくいった場合を想定して、少しずつ悪化していくよりも、(マイナスの要因が少しずつ増えていく事になります。)
最悪の事態で、腹を括ってそこから対処する、スタートする。
そうすると、その後起こる全ての事が、うまくいった場合になりますね、(プラスの要因がすこしずつ増えていく事になります。)
この方法のほうが、個人差はあるのでしょうが、精神的な負担を少なくする方法になるのではないか?そう思います。


菅さんの発言したと言われている内容、そのものだけが表に出ると、波紋を広げますが、
そういった想定も考えていないのであれば、それは無能です。
根拠のない楽観主義といえるのではないでしょうか?
国民や、諸外国に向けて、今最悪の事態、何処まで想定しているのか、疑心難儀の今よりは、この際明確にしてもいいと思います。
刺激をやわらかくするために、うまくいった場合から、最悪の場合まで、何段階かに分けた想定発表するのも良いと思います。
そこで、その最悪でも、まだ不足という意見や、そこまでしなくても、の意見あって当然です。
その想定された最悪の事態を国民も前向きに受け止めて、そうならないように、各自の能力で協力できるところは協力する。
そういう出発点を皆で見たほうが良いと思っています。


その、ゴールは、震災前よりも、安全で安心な住まいと社会ですね。
仮設住宅は急いで建てても、今後長年暮す街造りは、天災にも強い物を創りたい。
その中で、忘れてはならないのは、人災も防ぐ事。ですね。