職業としての小説家

村上春樹さんの「職業としての小説家」読みました。

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)

昨日書いた「みみずくは黄昏に飛びたつ」の第1章にこの作品出てきたました。
物凄くこの2冊関連があって、「みみずくは黄昏に飛びたつ」第1章だけ書き下ろしではなく、
「MONKEY」Vol.7に掲載された作品です。
そして、「職業としての小説家」の版元のスイッチ・パブリッシングが出しているのが
柴田元幸さんが責任編集している、「MONKEY」
柴田元幸 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%85%83%E5%B9%B8

村上春樹との関係[編集]

小説家の村上春樹が1986年にジョン・アーヴィングの『熊を放つ』を翻訳する際、柴田、畑中佳樹、上岡伸雄、斎藤英治武藤康史の5人でチームを組んでバックアップをした[3][注 2]。ここから村上との親交が始まる。1987年7月刊行のポール・セローの『ワールズ・エンド(世界の果て)』からは、村上の訳文をひとりでチェックするようになった[5]。

村上との共著に『翻訳夜話』、『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』がある。また、CDブック『村上春樹ハイブ・リット』(アルク、2008年11月)の総合監修を務めた。

こんなつながりがあります。
結局、新潮文庫から出てます。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)


今回も少し引用を
第八回学校について。213P

 とはいっても、僕が学校教育に望むのは「子供たちの想像力を豊かにしよう」というようなことではありません。そこまでは望みません。子供たちの想像力を豊かにするのは、なんといっても子供たち自身だからです。先生でもないし、教育設備でもありません。ましてや国や自治体の教育方針なんかではない。子供たちみんながみんな、豊かな想像力を持ち合わせているわけではありません。駆けっこの得意な子供がいて、一方で駆けっこのあまり得意ではない子供がいるのと同じことです。想像力の豊かな子供たちがいて、その一方で想像力のあまり豊かとはいえない―でもおそらく他の方面に優れた才能を発揮する―子供たちがいます。当然のことです。それが社会です。「子供たちの想像力を豊かにしよう」なんていうのがひとつの決まった「目標」になると、それはそれでまた変なことになってしまいそうです。
 僕が学校に望むのは、「想像力を持っている子供たちの想像力を圧殺してくれるな」という、ただそれだけです。それで十分です。ひとつひとつの個性に生き残れる場所を与えてもらいたい。そうすれば学校はもっと充実した自由な場所になっていくはずです。そして同時に、それと平行して、社会そのものも、もっと充実した場所になっていくはずです。

とっても良い個人主義だと思います。
私はその世代では無いですが、「ゆとり教育」とかやらかしますねこの国は。
最初202Pを引用しようと思っていたのですが、そこだけ抜き出すのはやめることにしました。
第八回是非全文読んでみてください。


第十回何のために書くのか
264P

僕の本を出す出版社内でも、僕の書いたものを支持してくれる編集者よりは、どちらかといえば批判的な立場を取る編集者のほうが数が多かったみたいです。そんなことで、いつも何かしら厳しいことを言われたり、冷ややなか扱いを受けてきました。なんだかずっと(強くなったり弱くなったりという時期的変動はあるものの)向かい風を受けながら、一人ぼっちで黙々と仕事をしてきたような気がするくらいです。

読者として、デビュー作から初版で次の作品を楽しみに読み続けていましたが、こんな思いをしながら執筆されていたとは。


引用はしませんが、第十一回では、村上さんご自信が積極的にアメリカに進出したことについて書かれています。
私は、自然に海外でも売れていったのだと思っていたのですが、そんなことはないのですね。


村上さん作品を書くことに集中するため、公私にわたり環境を整えていることも良くわかりました。
影響力のある方なのでその言動に注目が集まりますが、やっぱり村上さんが望むようになって欲しい。
そうおもいます。