CS&N

ウッドストック出演アーチストに入ります。
11月8日も参照してください。
私が見た映画の中で1番良かったもの、
にしてしまうときもあります。
ドキュメンタリー映画ですが、
お気に入りです。


ベトナム戦争の泥沼に突っ込んでいく時代背景の中で、
『愛と平和』のキャチフレーズが、
白々しく感じることが不思議なくらい、全くありません。
団塊の世代の方たちの、
「まだ世の中変わるんだぜ」
「俺たちが変えるんだぜ」
みたいな熱さと、
無鉄砲さ好きですし、
この映画の出演者と、観客の一体感、
音楽も大切にされているし、
よく撮れた映画だと思います。
私の世代は、全くおとなしかったので、
この熱さうらやましく思います。


1回目はジミヘンじゃなくて、CS&Nです。
クロスビー・スティルス&ナッシュ
3人の名前繋げたグループ名です。
そう、私の趣味です。
ウッドストックのときは、彼らはこう言っています、
「人前でやるの2回目なんだぜ」
「だからひやひやもんさ」
でも、実はこの時点で3人とも既に有名人です。
全員元○○で、それぞれすごいキャリアを積んでいます。
翌年ニールヤング加わって、CSN&Yになります。
ウッドストクの時点で

Crosby Stills & Nash

Crosby Stills & Nash

が発売になってるだけの確かに新人です。
最高位はコンサート直前の69年7月5日の6位です。
トップ40に40週もいました。


私はこの人たち知ったのは、

So Far

So Far

のアルバムが1974年9月にビルボード1位になったときです。
このアルバムアルバム未収録のシングル
ニール・ヤング作の「オハイオ」なんかが入っているベスト版です。
その後、本当の最初の出会いは、
小さな恋のメロディ [DVD]

小さな恋のメロディ [DVD]

の映画でラストに使われて曲が、
CSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」だったのアルバム聴いて気付きました。
この曲はナッシュさんが作ってます。
この映画、ビージーズの曲の方が目立ってたので、
全曲ビージーズだと思ってました。
(この頃のビージーズは、
サタデー・ナイト・フィーバー

サタデー・ナイト・フィーバー

の頃と音違いますよ、1975年から音変わってます、
売れっ子から、超売れっ子に変身した感じです)


CSN&Yは、全員が曲書けて、歌えます。
ハーモニーとってもきれいです。
私もこういう音楽やりたかったですが、
そう思っていたのは私だけではなくて、
3人組でロンドンで結成された、「アメリカ」
CSN&Yの再来と言われて、
CSN&Yコピーバンドと言う悪口もあったようです)

名前のない馬

名前のない馬

のデビューアルバム1972年3月から1位を5週間も続けました。
アルバムタイトル曲はシングルカットされて、
これまた1972年3月に3週間1位を続けています。
この曲が1位になる前の週は、
CSN&YのY(二ール・ヤング)のソロシングル
「ハートオブ・ゴールド」が、1週間ですが1位になっています。
アメリカは、その後も1975年にシスター・ゴールデン・ヘアーと言うシングルも
1週ですが、1位になっています。
CSN&Y
デジャ・ヴ

デジャ・ヴ

を1970年4月に1週1位だして。
ライブアルバムで、2枚組み。
スティブン・ステルスとニール・ヤングのツインリードが
スタジオアルバムにない、迫力の、
4 ウェイ・ストリート

4 ウェイ・ストリート

を1971年4月にこれまた1週1位だして、
活動お休みしてしまったので、
ちょうどその時期に「アメリカ」デビューでタイミング良かったのかもしれません。
私当然「アメリカ」も好きです。
その後
1977年にYの以外の3人で
Csn

Csn

出して最高2位を4週続けたり、
(このときの1位は
噂

で、連続ではありませんが、合計で31週1位を記録しています。)
ティルス・ヤングバンド
あったり、
CSN&Yで出したり、
バンドと言うよりは、
ソロアーチストがたまに集まる感じで現在もやっています。


日本でも影響受けたバンドいます。

GARO

GARO

ガロのデビューアルバムは影響感じますね。
本人たちも認めています。
ただ私は、学生街の喫茶店は知っていましたが、
大学の先輩に教えてもらうまでそのこと気付きませんでした。
このデビューアルバム手に入れたのは、
10年ぐらい前に復刻版で発売されたときです。