スティーヴン・スティルス

CS&NのSスティーヴン・スティルスさんです。
ウッドストクで演奏しているのは、
この人の書いた、ジュディ・ブルー・アイ(青い目のジュディ)という組曲です。


この人の経歴チョット大変です。
1964年にトーク・スティルス&ホプキンズというバンド作ります。
ティルスさんの経歴の始まりです。
このバンドはあまり成功していません。
しかしステルスさん以外に、トークさん有名人になります。
バファロー・フィッシュ1966年解散時、
トークさんメンバーにいて、この後モンキーズに参加します。
モンキーズで、ベースを弾いていたピーター・トークさんです。
モンキーズは、TVシリーズのためにオーディションで結成されたバンドです。
ティルスさん落とされて、友人のトークさん紹介したみたいです。
1966年デビューアルバム、

Monkees

Monkees

は、1966年1位を13週も続け、
シングルLast Train to Clarksville(恋の終列車)
も1週1位になっています。

1967年のセカンドアルバム、

More of the Monkees

More of the Monkees

は、1位を18週も続け、
シングル、二ール・ダイアモンド作の
アイム・ア・ビリーバーは1966年末から1967年に掛けて、
1位を7週続けます。
この頃モンキーズの人気はすごくて、
デビューアルバムを1位から落としたのが、
セカンドアルバムでした。
合計31週もモンキーズが、1位継続したわけです。
Sounds Like (Spkg)

Sounds Like (Spkg)

のアルバムが、連続1位の記録1週だけ破りますが、
翌週には、サードアルバムが
Headquarters

Headquarters

1位になります。しかしこのアルバムは1週で1位から落ちます。
抜いたのは、
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

です。これも15週1位続けてます。
年末に4枚目の
Pisces Aquarius Capricorn & Jones Ltd

Pisces Aquarius Capricorn & Jones Ltd

1位を5週続けます。
1967年は年間で8枚しかアルバムチャート1位になっていませんが、
そのうち半分の4枚モンキーズでした。


私、初めて触れた、洋楽モンキーズでした。
近所のよく遊んでもらった、お兄さんがいつもモンキーズ聴いていて、
私も好きになっていました。
特にLast Train to Clarksville(恋の終列車)が、
印象に残っていますね。


さてスティルスさんですが、
このモンキーズの馬鹿売れはショックだったりするかもしれませんが、
モンキーズ、後に自分たちで演奏していないことばれたりしてます。
よくある話で、昨日のバーズのミスター・タンブリンマン、もバーズ演奏してません、
バーズの場合スタジオの空き時間足りなくてスタジオミュージシャン{レオンラッセルとか}使ってとったようです。モンキーズトークさんとネスミスさんは演奏力ありました。)
1966年バッファロー・スプリングフィールド結成します。

アゲイン

アゲイン

トップ40に入るアルバムありませんが、
ここからいろんな人育っていきます。
二ール・ヤング、リッチー・ヒューレイは結成から1968年の解散までメンバーでした。


バンド解散後、リッチー・ヒューレイはのちメンバーに加わった、
ジム・メッシーナと共にポコ

ライヴ・ポコ

ライヴ・ポコ

を結成します。
このライブは、1971年最高26位までいきます。
ジム・メッシーナは1971年脱退して、
ロギンス&メッシーナ結成します。
彼らは6枚のトップ40アルバム出してます。
リッチー・ヒューレイは1973年脱退して
1974年
サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンド

サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンド

を最高11位に送り込んでいます。
サウザーは、J・Dサウザーで、ヒルマンはクリス・ヒルマンですけど、知ってます?
ポコのドラムのジョージ・グラハムと
ベースのテモシー・B・シュミットは1977年脱退して、
イーグルス結成します。
残ったメンバーでも、ポコは、
伝説

伝説

1979年最高14位に送り込んでいます。


ティルスさん
1968年

スーパー・セッション

スーパー・セッション

に参加して最高位12位記録します。
アル・クーパ(キーボード)主体で作成されています。
マイク・ブルームフィールド(ギター)
でA面作成して、
「いい音撮れた」とアル・クーパーさん満足してたら、
翌日マイク・ブルームフィールドさんいなくなっていて、
「おい誰か、ギター弾くやついないか」
って探して、結局スティルスさんが参加した。
というアルバムです。
なんかいい時代ですね。
ところが、スティルスさんと契約のレコード会社違っていて、
事後承諾で録音されてます。
気を使って、B面スティルスさん演奏のみで、歌っていません。
B面ドノバンのシーズン・オブ・ザ・ウイッチ(魔女の季節)
入ってたりしますが、
A面ブルース色の出た仕上がりになっています。
B面ロック色強い感じです。
そんなわけでA面B面だいぶ音違います。


アル・クーバーはこの後、
ブラッド・スエット&ティアーズを中心メンバーとして1968年結成し、
セカンドアルバム

血と汗と涙

血と汗と涙

ブラス・ロックとして、シカゴより1年後の結成ながら、
さっさと売れちゃいました。
このアルバム1969年1位を7週続け、
トップ40に66週(つまり1年以上ってことですね)いました。
シングルも
ユーブ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー
スピニング・ホイール
アンド・ホエン・アイ・ダイ
の3枚が全て最高2位を記録してます。
1位まであと少しでしたね。
クーパーさんせっかく売れたのに、さっさと辞めちゃってます。
ソロ活動ではトップ40アルバム無いようですが、
アイ・スタンド・アローン

アイ・スタンド・アローン

なんか見たことありますね。
たくさんアルバム出してます。
残ったメンバーで出だしたサードアルバム、
Blood, Sweat & Tears 3

Blood, Sweat & Tears 3

1970年1位2週のヒットになっています。
シカゴも初ヒットは1969年ですがその後
メンバーや音も変わりますが、結局20年人気保ちます。
これまたすごい。


脱線しすぎて時間なくなりました。
この後CS&Nになります。
明日に続く。