表現の規制

14日に書いた、

結成50周年 クレイジーキャッツ コンプリートシングルス HONDARA盤

結成50周年 クレイジーキャッツ コンプリートシングルス HONDARA盤

のCDに中にこんな曲が入っています。

作詞青島幸男さんです。
この詩たぶん今ならクレームが出て、放送禁止になりそうな気がしませんか?
昔はおおらかで良かったなってしみじみ思います。
黒沢明監督の映画とか、古い映画見ていると、
最後に「作品中に不適切な表現がありましたが、作者の意図をくんでそのまま放映しました」みたいなテロップ出ますよね。
最近の映画はそういうの出ないところを見ると、不適切な表現のリストみたいなものが出来上がっていて、それに出ている表現はしないよう予め自主規制しているのでしょうね。
でもそういった差別用語などを別の言葉に言い換えているだけで、実際の差別は無くなっている訳ではないことは誰もが知っていますよね。
表向き優しい社会になっているようで、実はもっと陰湿になっているような気がしませんか?
そういった不適切な表現を普通に話していた頃の方が優しくておおらかだったような気がします。
この歌詞を平気でTVで歌えるような、おおらかな時代になって欲しいものです。
人のあらを探してクレームをつけるのに生きがいを感じているような人増えているみたいでいやですね。


不適切な表現を言い換えるの、妙に上手になりすぎてその行為や状態をかっこよく表しすぎているのも見受けます。
援交って何か言いやすいですよね。売春とやっていること同じなのに。
フリーターって言葉も言いやすいですよね。
なんか、表現を変えることによって事実から目を伏せるやり方は考え直した方が良いと思います。