人間は犬に食われるほど自由だ

「人間は犬に食われるほど自由だ」
この言葉聞いたことあります?
私はとてもこの言葉が印象に残っています。
犬に食われて何が自由なんでしょうね。
この言葉、このままヤフーやグーグルなどの検索サイトで入力してもヒットします。


藤原新也さんご存知でしょうか?
この言葉彼がインドを旅していたときに撮った1枚の写真に添えられたコピーです。
写真ごらんになりたい方は、
藤原新也さんのホームページ、
http://www.fujiwarashinya.com/main.html
の中の「Memento mori」クリックすると、
藤原さんの撮った写真に合わせて音楽と、コピーが表示されます。
その中で見ること出来ます。
思ったより残酷な写真ではありません。
行ったことはないですが、インドでは常識なんだと思います。
ガンジス河は人々の信仰を集める聖なる河で、
沐浴もすれば、死体も流すからです。


私たち日本人の多くは病院で死んでいきます。
病院で死んで→自宅に運ばれて→通夜→葬儀→火葬→お墓の中
という手順です。
かなりシステム確立されています。
私たちの日常の生活の中にほとんど死の影はありません。
でも実際は1人ずつ密かにこの世から消滅しているわけです。
臭いものには蓋をしろ、
これはあまりにたとえが悪すぎますが、
私たちの日常は、
醜悪(これも表現良くないですがキツイ表現にしたいのであえて使います)
なものが巧みに隠蔽されているような気がしませんか?
渋谷、ほとんどお年寄り見かけませんね。
学校も、知能の低い子供や、障害のある子供、
普通学級にほとんどいないのではないでしょうか?
そういう中で育ってしまって日本人は本当に全ての人を素直な目で、
そのまま見ることが出来るのでしょうか?
そう考えると「五体不満足」の乙武洋匡さんとご両親はすごいですね。
そしてそのすごい人たちのおかげで、
周りにいた人たちもとてもすばらしい体験が出来たのではないでしょうか。
誰もが年を取ります、自分自身もいつかは排除されてしまうのでしょうか?
苦しんでいる人が巧みに隠蔽されていて、
人の苦しみが共感を持って、理解されることが少ない世の中になってしまったのかも知れません。


インドでは死体がガンジスに流されます。(これ事実じゃなかったらどうしましょう)
死は日常で隠蔽されることはありません。
人の感動や、喜びを開放するだけでなく、痛みも、悲しみも開放されています。
なすがまま。
ありのまま。
「人間は犬に食われるほど自由だ」




藤原新也さん私が始めて、出会ったのは、

東京漂流

東京漂流

Amazon
です。
藤原さんの視点が私には新鮮でした。
新潮社の「フォーカス」の写真を撮られていて、
辞めることになったいきさつなども書かれていて興味深かったです。

メメント・モリ

メメント・モリ

Amazon
メメント・モリって「死を想え」という意味だそうです。
写真集です。

小説も書いています。

この小説とセットの写真集です。


#最後に。
本を紹介するまでに書いた文章ですが、
「東京漂流」にそんなようなこと書いたあった気がしています。
手元に「東京漂流」ないので確認していませんが、
現在の私の中にある
「人間は犬に食われるほど自由だ」
の解釈はここに書いたようになっています。
ですので、本には戻らずにそのまま書いてみました。


ここから下書いているの2022年11月17日です。
16年ぶりの修正。
ニンゲンは犬に食われるほど自由だ

これが藤原さんが書いた正しいタイトルでした。
supiritasu.hatenablog.com